六椹八幡宮

山形県山形市鉄砲町1-3-5 [Mapion|googlemap]

六椹八幡宮

六椹八幡宮(むつくぬぎはちまんぐう)
正式名称:六椹八幡宮
御祭神: 誉田別尊 息長帯姫命 比咩大神
創建年代: 天平年間(729~49)
例祭:9月14日・15日
社格等:旧県社
http://nttbj.itp.ne.jp/0236235647/index.html(iタウンページ)
http://www.u-6kunugi.com/(六椹八幡宮氏子青年会)

【御由緒】
古来、山形城下南部の総鎮守とされ、北部の鳥海月山両所宮とともに厚い崇敬を受けてきました。

社伝によれば、天平年間(729~49)鎮守府将軍・大野朝臣東人が創建したとされます。

前九年の役平定のために奥州に下向した源頼義・義家父子が当地を訪れ、この地は6本の椹(くぬぎ)があることから六椹(むつくぬぎ)と呼ばれていること、八幡大神を祀っていることを聞きました。これは陸奥の苦を抜くに通じると喜んで戦勝を祈願、争乱平定後の康平6年(1063)奉賽として社殿を造営し、絹黒地金泥日章旗一旒を奉納しました。

延文元年(1356)斯波(最上)兼頼は羽州探題として山形に入ると、斯波氏が源氏の名流であることから当社を祈願所に定め、社殿を造営しました。その子孫の最上義光は慶長5年(1600)上杉氏との慶長出羽合戦に勝利した奉賽として社殿を修営、軍旗・社領など寄進しました。

寛永7年(1630)最上氏改易後に山形城主となった鳥居忠恒が社殿を造営、これが現在の本殿と伝えられます。その後も保科正之、堀田正亮、秋元涼朝、水野忠精ら歴代藩主から深く崇敬されました。

明治6年(1873)5月、山形県で初めての県社に列格。昭和60年(1985)江戸時代までの社号である六椹八幡宮に復称しました。

六椹八幡宮の御朱印

御朱印は授与所にていただきました。

六椹八幡宮の御朱印

六椹八幡宮の御朱印。朱印は「六椹八幡宮印」。

最上義光(もがみよしあき) 伊達・上杉と死闘を演じた出羽の勇将 (PHP文庫)最上義光(もがみよしあき) 伊達・上杉と死闘を演じた出羽の勇将 (PHP文庫)

六椹八幡宮の参拝記

レンタサイクルで山形市内社寺参拝。ルートを検討した結果、南の六椹八幡宮から北の鳥海月山両所宮へと北上することとしました。

普通、「椹」という字は「サワラ」と読み、「クヌギ」と入力しても変換されません。サワラは檜に似た針葉樹、クヌギは落葉広葉樹ですが、山形県内には椹と書いて「クヌギ」と読む地名が幾つかあるようです。

鳥居

緑豊かな六椹八幡宮の境内。樹齢数百年という巨木が何本も聳えています。

手水舎

手水舎。

御神木

御神木。六椹の名の由来となったクヌギの木。

常盤稲荷神社

社殿の周囲にはいくつかの境内社があります。こちらは常盤稲荷神社。

住吉神社

住吉神社。このほかにも金刀比羅神社や妙見社があります。

鐘楼堂

本殿は以後には鐘楼堂があります。神仏習合時代の名残でしょうか。

拝殿

拝殿。

神号額

神号額「八幡大神」。

本殿

本殿。端正な流造の社殿です。

因みに六椹八幡宮の所在地を鉄砲町とする資料も多いのですが、神社が鎮座するのは八日町で、通りの向かいにある社務所が鉄砲町になるようです。

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