西国19番 行願寺(革堂)〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
西国19番 霊麀山 行願寺(革堂)
山城国 上京 行願寺門前町(京都市中京区行願寺門前町)

西国19番行願寺の納経

西国18番頂法寺に参拝した太郎助は続いて19番の行願寺に参拝しています。行願寺は革堂(こうどう)あるいは一条革堂の名で知られ、六角堂と呼ばれる頂法寺が下京の町堂であったのに対し、行願寺は上京の町堂とされ、有事の際には町衆の集会所となりました。

行願寺は、寛弘元年(1004)行円上人が一条小川の一条北辺堂跡に建立したことに始まると伝えられます。現在の上京区革堂町・革堂中之町・革堂西町などがかつての境内地でした。

行円上人は九州の出身で、比叡山の横川に本拠を置いた聖だったと考えられています。元は猟師でしたが、自分が射た母鹿から子鹿が生まれるのを見て殺生の非を悟り、仏門に入ったと伝えられます。

その母鹿の皮の衣を身につけていたことから「皮聖」「皮仙」などと呼ばれ、それに因んで行願寺も「革堂」と呼ばれるようになりました。

本尊の千手観音は、行円上人が夢告によって賀茂社の槻木を得て自ら刻んだものと伝えられています。因みに、仁弘法師が槻木の余材で刻んだ千手観音の像は、後朱雀天皇の勅により西国20番善峯寺の本尊とされました。

天正18年(1590)豊臣秀吉による都市計画のため寺町荒神口(現在の京都御苑の東側)に移転。さらに宝永5年(1708)の大火の後、現在地に移りました。一条通から離れた後も「一条革堂」と通称されたようです。

その後も火災を繰り返し、現在の本堂は文化12年(1815)の再建。太郎助が参拝する10年前のことです。

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革堂の納経

西国19番行願寺の納経

巡拝帳を見ると、揮毫は右から順に

「奉納」
「勅願所」
「一条革堂」
「役者」
「酉六月八日」

中央の宝印は、火焔宝珠の中に梵字や「宝印」の文字が見えますが、判読できません。右上の印は「西国十九番」、左下は判読できません。

西国三十三所めぐり (楽学ブックス)西国三十三所めぐり (楽学ブックス)

行願寺の概要

霊麀山 行願寺(ぎょうがんじ)
現名称:霊麀山 行願寺
通称:革堂(こうどう)
御本尊:千手観世音菩薩
創建年代:寛弘元年(1004)
開基:行円上人
山城国上京行願寺門前町(京都市中京区行願寺門前町)
宗派等:天台宗

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