文政8年『神社仏閣順拝帳』
槙尾山 施福寺
和泉国和泉郡槙尾山(大阪府和泉市槙尾山町)
慈尊院で納経した太郎助は、その日のうちに西国第4番施福寺に参拝しています。直線距離では10km余りですが、途中、紀ノ川を渡り、和泉山脈を越えなければなりません。
槙尾山施福寺は槙尾山(標高約600m)の中腹にあり、槙尾寺の通称で知られています。本尊は弥勒菩薩。
寺伝によれば、欽明天皇の勅願により行満上人が開創。慶雲3年(706)行基菩薩が登拝・修行し、懺悔秘法率塔婆を建立しました。札所本尊の千手観音は、宝亀2年(771)行基菩薩の高弟・法海上人が造立したものとされます。また、役小角は法華経28品を書写し、葛城山の秘所に一品ずつ埋納した際、当山にも常不軽菩薩品を納めたといいます。
弘法大師は延暦12年(793)勤操大徳を導師として施福寺で得度したと伝えられ、境内には弘法大師剃髪堂があります。また、大師は大同元年(806)に唐より帰国した後、同2年(807)から4年(809)まで当寺に止住したともいわれます。
このような由緒から延喜16年(916)には定額寺に列し、寺運は隆盛しました。しかし、南北朝の争乱に際して南朝に与したことから衰退し、天正9年(1581)には織田信長によって焼き払われてしまいました。
慶長8年(1603)豊臣秀頼により伽藍が再興され、その後も徳川家の庇護を受けて盛観を取り戻しました。西国巡礼が盛んになるとともに広く庶民の信仰を集めるようになり、山麓には門前町もできました。寛永年間(1624~44)には真言宗から天台宗に改修し、寛永寺末となっています。
しかし太郎助の参拝からちょうど20年後の弘化2年(1945)春、山火事で伽藍の大半を焼失しています。現在の伽藍は、豊臣秀頼寄進の山門以外、いずれもその後の再建とのことです。
施福寺の納経
順拝帳を見ると、墨書部分は右から順に
「奉納経」
「本尊千手観世音」
「弘法大師御剃髪所」
「酉五月二十五日」「施福寺」
施福寺の本尊は弥勒菩薩なのですが、「本尊千手観世音」となっています。西国巡礼としての納経だからでしょうか。
中央の朱印(宝印)は「佛法僧寶」の三宝印。右上の印は上下逆になっていますが「西国第四番」、左下の印は「薬」あるいは「覚」のように見えますが、よくわかりません。
和泉市の歴史1 地域叙述編<横山>横山と槙尾山の歴史 (和泉市の歴史 1)
施福寺の概要
槙尾山 施福寺(せふくじ)
現名称:槙尾山 施福寺
通称:槙尾寺
御本尊:弥勒菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩
創建年代:伝・欽明天皇の御代
開基:行満上人
所在地:和泉国和泉郡槙尾山(大阪府和泉市槙尾山町)
宗派等:天台宗
文政8年『神社仏閣順拝帳』
慈尊院 → 施福寺 → 四天王寺
※参拝寺社一覧
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