西国12番 正法寺(岩間寺)〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
西国12番 岩間山 正法寺
近江国滋賀郡内畑村(滋賀県大津市石山内畑町)

正法寺の納経

上醍醐寺を参拝した太郎助は西国三十三所の順番通り、12番岩間山 正法寺、通称・岩間寺に参拝しています。正法寺は醍醐寺の南西約4km、山城国と近江国の境にそびえる岩間山にあります。

正法寺は加賀白山を開創した泰澄大師により、元正天皇の勅願寺として創建されたと伝えられます。

養老6年(722)泰澄大師は元正天皇の病気平癒を祈願し、無事に成満しました。その後、霊地を求めて行脚をしているとき、岩間山で桂の木から千手陀羅尼を感得しました。そこで、その桂の木で等身大の千手観音の像を刻み、元正天皇の御念持仏を胎内に納めました。これを本尊として一寺を建立したのが正法寺の始まりとされています。

この御本尊は「雷除け観音」「汗かき観音」として信仰を集めています。

泰澄大師が正法寺の伽藍を建立しているとき、たびたび落雷がありました。法力で雷を封じ、なぜ落ちるのか尋ねましたところ、泰澄大師の弟子になりたいと答えました。そこで雷を弟子とするかわりに、参詣の善男善女には雷の害を及ぼさないことを約束させました。これが「雷除け観音」と呼ばれる由来とされます。

また、この御本尊は日没とともに厨子を抜け出し、136の地獄を駆け巡って苦しむ人々を救済し、日の出の頃、汗びっしょりになって戻ってくるといいます。その姿から「汗かき観音」と呼ばれるそうです。

平安時代から醍醐寺の末寺となり、鎌倉時代に編纂された『醍醐雑事記』には醍醐寺末寺の筆頭として「石間寺」と記されています。

俳聖・松尾芭蕉は当寺の御本尊の霊験により、その俳風を確立したとされます。本堂横手の「芭蕉の池」は、芭蕉が「古池や 蛙とびこむ 水の音」の句を詠んだところといわれています。

正法寺の納経

正法寺の納経

順拝帳を見ると、揮毫は右から順に

「奉納経」
「本尊千手観音」
「岩間山」「役者」

中央の宝印は勅願所であることを示す十六八重菊の御紋。右上の印は「西国十二番」、左下は判読できません。

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正法寺の概要

岩間山 正法寺(しょうぼうじ)
現名称:岩間山 正法寺
御本尊:千手観世音菩薩
創建年代:養老6年(722)
開基:泰澄大師
近江国滋賀郡内畑村(滋賀県大津市石山内畑町)
宗派等:真言宗醍醐派
http://www.iwama-dera.or.jp/

文政8年『神社仏閣順拝帳』
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