西国10番 三室戸寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
西国10番 明星山 三室戸寺
山城国宇治郡三室村(京都府宇治市莵道滋賀谷)

三室戸寺の納経

興福寺南円堂参拝の翌日、太郎助は山城国に入り、三室戸寺に参拝しています。三室戸寺は西国第10札所、現在ではアジサイの寺としても知られています。

寺伝によれば、宝亀元年(770)光仁天皇は毎夜宮中に金色の霊光が差し込むという奇瑞があったため、右少弁藤原犬養に命じてその源を探させました。

犬養が宇治川の支流、志津川を遡っていくと清らかな岩淵があり、高さ2丈余りの千手観音が出現しました。犬養は感激して深く拝礼し、淵に入って尊像を抱き上げたところ、1尺2寸の観音像となっていました。

これを聞いた光仁天皇は深く感銘を受けました。そして、大安寺の行表禅師に命じて御室を移して伽藍を建立させ、観音像を奉安して御室戸寺と名付けました。これが三室戸寺の始まりとされます。

延暦24年(805)桓武天皇は大供養を営み、白檀で犬養に示現した2丈余りの千手観世音菩薩を刻み、1尺2寸の尊像を胎内に納めて帝都鎮護の寺としました。その後も歴代皇室の尊崇厚く、光仁・花山・白河の三帝の離宮となったことから三室戸寺と称するようになったといいます。

以来、寺運は隆盛しましたが、寛正3年(1462)火災のために伽藍が全焼。文明19年(1487)再建されたものの、天正元年(1573)槇島城の戦いで足利義昭に味方したため、織田信長によって焼き討ちにされました。

寛永16年(1639)道晃法親王によって再興されますが、寺運は次第に衰退しました。山内の子院もほとんど廃絶し、18世紀末には金蔵院を残すのみとなっていたようです。

現在の本堂は文化11年(1814)の改築、太郎助が参拝する11年前になります。

三室戸寺の納経

三室戸寺の納経

順拝帳を見ると、揮毫は右から順に
「奉納経」
「勅願所」
「三室戸寺」
「役者」

中央の宝印は火炎宝珠に千手観音の種字「キリーク」。右上の印は白抜きで「西国第十番」、左下は「納経之印」。

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三室戸寺の概要

明星山 三室戸寺(みむろとじ)
現名称:明星山 三室戸寺
御本尊:千寿観世音菩薩
創建年代:宝亀元年(770)
開基:行表禅師
山城国宇治郡三室村(京都府宇治市莵道滋賀谷)
宗派等:本山修験宗別格本山
http://www.mimurotoji.com/

文政8年『神社仏閣順拝帳』
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