文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国74番 医王山 多宝院 甲山寺
讃岐国多度郡弘田村(香川県善通寺市弘田町)
いよいよ太郎助による四国巡拝最後の寺、74番甲山寺です。といっても、順拝の旅はまだまだ続くのですが。
寺伝によれば、弘法大師が善通寺と曼荼羅寺の間で伽藍を建立する霊地を探していた時、甲山の麓の岩窟から老翁が現れ、「この地で仏法を弘めてきた聖者である。汝、この地に寺院を建立せよ。我はいつまでも守護するであろう」と告げました。大師は老翁が毘沙門天の化身であることを悟り、毘沙門天の像を刻んで岩窟に安置しました。
弘仁12年(821)嵯峨天皇より満濃池の修築を命じられた弘法大師は、工事の成功を祈願して薬師如来の像を刻み、甲山の岩窟で修法を行い、無事に完成させることができました。その功績に対して朝廷より与えられた金2万銭のうち、一部を用いて伽藍を建立し、薬師如来を本尊として安置したと伝えられます。甲山の名は、山の形が毘沙門天の甲に似ていることに因むとされます。
天正年間(1573~92)の兵火のため焼失、本尊と大日如来像のみが残りました。『四国徧礼霊場記』には、「昔は大伽藍であったというが荒涼としている」と記されています。享保20年(1730)に本堂、寛保2年(1742)に御影堂が再建されました。
甲山寺の納経
順拝帳を見ると、墨書部分は右から順に
「奉納経」
「本尊薬師如来」
「讃州医王山」「甲山寺」
「四月八日」
中央に朱印(宝印)はありません。右上の印は「七十四番」、左下は「勝厳」と思われます。
太郎助は甲山寺の後、再度善通寺に参拝したようで、順拝帳の善通寺の納経には重ね印が押されています。
善通寺の納経。日付も2回分が入っています。3月10日から4月8日、文政8年3月は30日までなので、29日間の行程でした。
善通寺から南東に少し足を延ばすと金刀比羅宮(金毘羅大権現)がありますが、太郎助の順拝帳に金毘羅大権現の納経はなく、海を渡った備中国の一宮・吉備津宮に続いています。
甲山寺の概要
医王山 多宝院 甲山寺(こうやまじ)
現名称:医王山 多宝院 甲山寺
御本尊:薬師如来
創建年代:弘仁12年(821)
開基:弘法大師
所在地:讃岐国多度郡弘田村(香川県善通寺市弘田町)
宗派等:真言宗善通寺派
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