文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国43番 源光山 円手院 明石寺
伊豫国宇和郡明石村(愛媛県西予市宇和町明石)
43番明石寺は「めいせきじ」と読みますが地名は「あげいし」で、御詠歌にも「大磐石も軽くあげ石」とあり、地元では「あげいしさん」「あげしさん」と呼ばれます。
昔、18,9歳の女性(龍女とも千手観音の化身ともいう)が軽々と大石を抱いて道を歩いていたが、夜が明けたのでその場に置き去りました。その石を白王権現と称し、祠を奉ったという話が『宇和旧記』にあるそうです。これが明石寺の奥之院・白王権現の由来で、「あげいし(上げ石)」の名はこれに因むとされます。
寺伝によれば、6世紀の前半、欽明天皇の勅願により円手院正澄という行者が唐より渡来した千手観音を祀るために七堂伽藍を建立したことに始まるといいます。天平6年(734)寿元という行者が紀州熊野より十二社権現を勧請し、12坊を建立して修験の道場としました。
弘仁13年(822)弘法大師が嵯峨天皇の勅願により再興、紺紙金泥の『法華経』を納めました。
建久5年(1194)源頼朝は命の恩人である池禅尼の菩提を弔うため、明石寺に経塚を築き、伽藍を再建しました。この時、山号を現光山から源光山に改めたとされます。
以来、武家の厚い帰依を受け、領主の西園寺氏や伊達氏の祈願所として繁栄しました。
明石寺の納経
『順拝帳』をみると、墨書部分は右から順に
「奉納経」
「本尊千手観音」
「与州 源光山」「明石寺」
「酉三月廿九日」
日付は判読しづらいのですが、「卅日」ではなく「廿九日」だろうと思います。
中央の朱印は印影が薄くてわかりづらいのですが、火炎宝珠に千手観音の種字「キリーク」と思われます。右上は「四十三番」。左下は「覚」のような字で、現在も同じものが用いられています。また、現在は違いますが、当時は22番平等寺でも同じような印が使われていたようです。
大きな文字で読みやすい 四国八十八カ所ゆとりの旅 (ブルーガイドてくてく歩き)
明石寺の概要
源光山 円手院 明石寺(めいせきじ)
現名称:源光山 円手院 明石寺
御本尊:千手観世音菩薩
創建年代:6世紀前半
開山:円手院正澄
所在地:伊豫国宇和郡明石村(愛媛県西予市宇和町明石)
宗派等:天台寺門宗
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