四国11番 藤井寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国11番 金剛山 藤井寺
阿波国麻植郡飯尾村(徳島県吉野川市鴨島町飯尾)

四国11番藤井寺の納経

吉野川の北を阿讃山脈沿いに西に進んできた遍路道は10番切幡寺から南に向かい、吉野川を渡って11番藤井寺へと向かいます。太郎助の四国5日目の行程は藤井寺まで。この先の12番焼山寺までは阿波国最大の難所です。

寺伝によれば、弘仁6年(815)弘法大師巡錫の折、三方を山に囲まれ、渓流の清らかな当地に心を惹かれ、自らの厄除けと衆生の安寧を願って薬師如来の像を刻み、堂宇を建立して本尊としたのが始まりとされます。この時、境内に五色の藤を植えたことから藤井寺と称されるようになりました。また、寺から200mほど上った八畳岩に金剛不壊の護摩壇を築き、7日間の手法をされたと伝えられます。

以来、七堂伽藍を構える真言密教の道場として栄えますが、天正年間(1573~92)長曽我部の兵火により焼失しました。承応2年(1653)に四国を巡拝した澄禅の『四国辺路日記』には荒れ果てた当時の様子が記されています。

延宝2年(1874)徳島城下の臨済宗慈光寺の南山祖団禅師(妙心寺209世管長)が入山して再興、この時、臨済宗に改められています。元禄2年(1692)の寂本の『四国徧礼霊場記』には、仁王門や地蔵堂、鎮守、鐘楼、方丈、本堂などが描かれ、今は禅僧が入っているので堂舎も禅宗の様式で造られているとあります。

太郎助が参拝してから7年後の天保3年(1832)に火災で再び焼失し、現在の伽藍はその後の再建です。

藤井寺の納経

四国11番藤井寺の納経

『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から順に

「奉納経」
「本尊薬師如来」
「阿州金剛山」「藤井寺」
「酉三月十四日」

中央の朱印は「佛法僧寶」の三宝印。右上の印は「四國霊場第拾壹番」、左下は「藤井禅寺」です。

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藤井寺の概要

金剛山 藤井寺(ふじいでら)
現名称:金剛山 一乗院 藤井寺
御本尊:薬師如来
創建年代:弘仁6年(815)
開山:弘法大師
所在地:阿波国麻植郡飯尾村(徳島県吉野川市鴨島町飯尾)
宗派等:臨済宗妙心寺派

文政8年『神社仏閣順拝帳』
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