永平寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
吉祥山 永平寺(えいへいじ)

永平寺の納経印

加賀金沢の大乗寺に続いては越前国吉田郡の曹洞宗大本山・永平寺で納経印を受けています。参拝は2月29日、新暦の4月17日で、大乗寺からは3日間の行程です。

永平寺は言うまでもなく道元禅師の開創になる曹洞宗の大本山です。曹洞宗の大本山は二つあり、もう一ヶ寺は総持寺になります。現在は横浜市鶴見区にありますが、当時は能登半島にありました。

道元禅師は宇治の興聖寺で教化をおこなっていましたが、比叡山の迫害を受け寛元元年(1243)、越前国の地頭・波多野義重の招きにより越前国に下向しました。翌2年(1244)、傘松峰に大仏寺を建立したのが永平寺の開創とされます。同4年(1246)吉祥山永平寺と改称。「永平」の寺号は、仏教が初めて中国に伝来したという後漢明帝の時代の年号に因みます。

応安5年(1372)後円融天皇より「日本曹洞第一道場」の勅額と綸旨を受けました。その後も天文8年(1539)御奈良天皇より「日本曹洞第一出世道場」の綸旨を、天正19年(1591)後陽成天皇より「日本曹洞の本寺並びに出世道場」の綸旨を受けています。

永平寺はたびたび火災に遭っており、主要な建物も多くは明治以降の再建です。江戸時代のものでも、天保10年(1839)の勅使門、同14年(1843)の法堂、いずれも太郎助の順拝以降のもの。当時から残っている建物は山内最古の建築物とされる寛延2年(1749年)の山門ぐらいだろうと思われます。

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永平寺の納経

永平寺の納経印

墨書は右から
「奉納経」
「勅願所」
「日本曹洞総本山永平寺」
「酉二月廿九日」「執事」

中央の朱印は八方崩しの書体で判読できませんが、「仏法僧宝」の三宝印でしょう。右上の印は「勅賜」、左下は「蔵司之印」。

文字は力強い楷書で、現代人の我々にも読みやすいのですが、むしろ当時はこういう書体のほうが特殊でした。

当時の標準書体は「御家流」と呼ばれる和様のくずし字で、こういう唐様(現代ではこちらが標準書体ですが)の文字は「売家と唐様で書く三代目」というように、教養のある人たちが使う、あまり実用的ではない書法と認識されていたそうです。つまり、当時の人たちにとっては、我々が解読にてこずるくずし字のほうが馴染み深かったというわけです。

禅宗というのは、寺院建築や経典の読み方をはじめ、日本の仏教の中でもっとも中国的な要素の強い宗派です。大乗寺の納経印もそうですが、当時の人たちは、こういう唐様の文字に禅宗らしさとか異国情緒のようなものを感じたのではないでしょうか。

永平寺の概要

現名称:永平寺
御本尊:釈迦牟尼仏
所在地:越前国吉田郡市野々村(福井県吉田郡永平寺町志比)
宗派等:曹洞宗大本山

◆文政8年『神社仏閣順拝帳』
大乗寺 → 永平寺 → 松尾寺

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