御朱印帳は神社とお寺で分けるべきか?

東寺鎮守八幡宮の御朱印

御朱印をいただくにあたって、御朱印帳は神社と寺院で分けるべきか、という疑問を持つ人は多いようです。

そこで、この問題について考えてみたいと思います。

 

歴史的に考えて分ける根拠がない

結論から言えば、分ける必要はありません。分けるも分けないも、まったく各自の好み次第、考え方次第です。分けたくなければ分けなければいいし、逆に神社とお寺だけでなく、もっとこだわりを持って細分化するのも自由です。

ただし、もう少し親切心からアドバイスするならば、分ける必要はないが、分けたほうが賢明だとは言えるでしょう。

観光地として定着している神社仏閣ならまず大丈夫なのですが、一般の神社やお寺の中には、ごくまれに分けてなければ授与を拒否されたり、叱られたりすることがあるそうです(私自身は最初から分けているので、そういう経験をしたことがない)。危険な神社仏閣についてはネット上に情報があるので、それを見て対処することもできるでしょうが、それよりも最初から不要なリスクは回避したほうがいいだろうと考えるからです。

まず、なぜ分ける必要はないかということからいえば、日本の宗教的伝統は本来神仏習合であり、しかも御朱印は、起源からして神仏習合の伝統に深く根ざしているからです。

豊川稲荷

妙厳寺(豊川稲荷・曹洞宗)江戸時代まではこれが普通

御朱印の起源が江戸時代の納経帳にあることはよく知られていますが、さらにさかのぼると六十六部廻国巡礼の「納経請取状」に行きつきます。

六十六部廻国巡礼というのは、如法経(定められたとおりに写経した法華経)66部をもって日本全国66ヶ国を巡り、一ノ宮や国分寺など各国の名高い神社仏閣1ヶ所(神仏習合時代は神社にも納経していました)を選んで1部ずつ納経するというものです(江戸時代には写経の代わりに納め札を納めるのが主流になります)。この巡礼を行う行者を六十六部廻国聖(ろくじゅうろくぶ かいこく ひじり)、略して六十六部とか六部ともいいます。

納経を受けた神社仏閣は、その証明として「納経請取状」を発給していたのですが(室町時代からのようです)、江戸時代になると納経帳に記入押印してもらう形式になりました。これが四国八十八ヶ所や西国三十三所などの巡礼者にも広がり、一般化したものが現在の御朱印へとつながっているわけです。

武蔵国分寺・総社六所宮の納経

文政4年(1821) 六十六部の納経帳
総社六所宮(大国魂神社)と武蔵国分寺

中山寺・西宮神社の納経

文政7年(1824)六十六部の納経帳
西宮神社と中山寺

江戸時代の六十六部は1ヶ国1ヶ所に限定せず数多くの寺社に参拝し、中には66ヶ国を66ヶ所ずつ巡礼するというような強者もいたそうです。現代の御朱印拝受は、間違いなく六十六部の伝統を受け継いでいるといえるでしょう。

江戸時代以前は神社とお寺に明確な区別がなかった

六十六部が納経する先は自分で選ぶのですが、神社の場合もお寺の場合もありました(ネット上には、御朱印=納経は寺院から始まって神社に広がったなどという記述が見られますが、まったくの間違いです)。当然、納経帳にも神社・寺院が混在しています。というより明治維新までの約1000年間、神社とお寺の間に明確な区別はなかったのです。

お寺の宗旨もまちまちで、浄土真宗はまず見かけないのですが、日蓮宗は対応していたようです。なお、六十六部は納経の伝統がない真宗寺院に納経しなかったようですが、真宗の門徒は親鸞聖人や蓮如上人の旧跡などを巡り、御判をいただいていました。戦前は他宗と変わりなく御朱印を授与しています。本願寺派や大谷派が御朱印を授けなくなったのは第二次大戦後の現象です。(※H26.12.28追記:弘化4年の納経帳で、西本願寺の吉崎別院の印をいただいている例がありました)

明治初めの神仏分離で強制的に神社と寺院が分けられますが、庶民の信仰としては神社へもお寺へもお参りするのが普通でした。明治以降、神社のみ、寺院のみの参拝帳も見られるようになりますが、それは参拝者の自由意思によるもので、神社や寺院が強制したのでないことは、寺社混在の参拝帳の存在から明らかです。大正から戦前の集印帖は混在が一般的です(もちろん、分けているものもあります)。

熊野神社・因幡堂の御朱印

大正10年 京都の因幡堂と熊野神社

東大寺二月堂・手向山八幡宮

昭和2年 東大寺二月堂と手向山八幡宮

つまり、歴史的に見て、分けなければならないという根拠はありません。

分けてなければ御朱印を拒否する寺社もある

とはいえ、御朱印の授与については統一的な基準があるわけではなく(霊場会単位はともかくとして)、各神社や寺院の考え方にゆだねられています。いくら本来は分ける必要はないといっても、授与する神社やお寺が分けていない朱印帳への授与を拒否する場合、拝受する側はそれを受け入れるしかないわけです。

まあ、了見が狭いというか、けち臭い話だなあとは思います。しかし、そんなことのためにわざわざイヤな思いをするのも馬鹿馬鹿しい話です。

というわけで、本来、神社とお寺で朱印帳を分ける必要はないのですが、不要なリスクを避ける意味で、分けておいたほうが賢明だと思います。

因みに、私自身は神社とお寺だけではなく、寺社混在の可能性が高い七福神、自分にとって特別の意味がある四国八十八ヶ所の番外札所などは、専用の御朱印帳にいただいています。あと、管理の関係で東京の神社仏閣についても、他道府県の神社仏閣とは分けています。あくまで自分の好みと都合によるものです。

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