文政八年『神社仏閣順拝帳』

表紙

出羽国由利郡漆畑村(現在の秋田県由利本荘市内越)の人が、文政8年(1845)に四国八十八ヶ所全札所と西国三十三所の大半、および道中の神社仏閣を参拝した巡拝帳(納経帳)です。表紙には文政七甲申歳とありますが、実際に巡拝しているのは文政8年(乙酉)の2月から6月にかけてです。

2分冊になっており、地元の波宇志別神社、続いて越後国(新潟県)の乙宝寺、加賀国(石川県)の大乗寺、越前国(福井県)の永平寺と日本海沿いに南下し、丹後国(京都府)の松尾寺・智恩寺(切戸文殊)・成相寺を参拝した後、善通寺から四国八十八ヶ所を巡拝、吉備津宮(備中一宮の吉備津神社)・杵築大社(出雲大社)を参拝した後、書写山から西国三十三所や大阪の四天王寺・高野山などを巡り、西国31番の長命寺で終わっています。30番竹生島宝厳寺、32番繖山観音正寺、33番谷汲山華厳寺などがありませんが、参拝しなかったためか、納経帳のページがなくなったためか、さらにもう1冊あったのかなどは不明です。いろいろ参拝していますが、六十六部というわけではなく、四国と西国を巡拝するのに合わせて、途中の霊場も参拝したという形でしょう。

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順拝帳の表紙

この参拝帳を順に見ていこうと思うのですが、まず最初に表紙を見てみます。

神社仏閣順拝帳表紙

 

表題は『神社佛閣順拝帳』。中央に朱印が押してあります。菊花の中に梵字があるようなのですが、よくわかりません。卍のようにも見えます。最初に参拝した波宇志別神社の印というわけではなさそうですから、たぶん菩提寺で押してもらったのではないかと思います。

表題の右側の文字は「文政七甲申歳」「羽州由利郡亀田」、左側は「内越漆畑村」「三月吉日」「太郎助」。

この参拝帳(納経帳)の持ち主は出羽国由利郡漆畑村、現在の由利本荘市内越に住んでいた太郎助という人物だったことがわかります。「羽州由利郡亀田」は住所ではなく、出羽亀田藩(由利本荘市岩城亀田の亀田城を藩庁とし、藩主は岩城氏で2万石)のことでしょう。「内越(うてつ)」は内越郷もしくは内越通。亀田藩は領内を内越通・川大内通・下浜通・大正寺通の四つの行政単位に編成しており、漆畑村は内越通に属していました。因みに漆畑村は明治9年に中野目村・平岡村と合併して内越村になっています。

漆畑村について、『角川日本地名大辞典』には次のようにあります。

江戸期~明治10年の村名。出羽国由利郡のうち。慶長7年~元和8年最上氏領(楯岡豊前守代官支配),同8年本多正純領,同9年から亀田藩領。芋川下流の東岸に位置し,いわゆる内越(うてち)田圃の一角をなす。もと内越郷に属す。本荘市(引用者注:現在の由利本荘市)内越の一部に当たる。(以下略)

先にも書いたように、実際の巡拝は文政8年なのですが、表紙には文政7年とあります。3月吉日ということなので、実際の巡拝の約1年前になります。甲申と干支まで入っているので、八と七を間違えたとは考えられません。参拝帳を準備したのが文政7年3月だったのでしょう。

実は、最初のページの波宇志別神社には参拝の日付が入っていません。それが、たぶん文政7年の3月だったのではないでしょうか。四国・西国順拝に先立って、地元を代表する霊場である波宇志別神社に参拝したのでしょうが、順拝に出発する1月、2月では雪が深くて難しいため、前年のうちに済ませておいたのではないかと思います。

表紙 → 波宇志別神社

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