書置き・スタンプの御朱印(下)

最後に刷り物(印刷物)の御朱印・納経印について考えてみたいと思います。複写(コピー)というのは最近の技術ですが、印刷物という括りにすれば、刷り物の納経印が該当するでしょう。

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刷り物(印刷物)の御朱印・納経印

これまでいただいた御朱印の中には、複写や印刷、なかにはワープロという例もありました。たしかにワープロやコピーだとガッカリするのは人情としてしかたがないと思います。しかし、宮司さんが手を傷めていて字が書けないため、何か方法はないかということでワープロやコピーを使っている等の事情があることが多く、御朱印の授与が義務ではないことを考えれば、そういった形でも御朱印の対応をしてくれることが有り難いと思うわけです。

さて、書置きと版木押しを組み合わせれば刷り物(印刷物)になります。享保10~12年(1725~27)の納経帳に刷り物の納経印は見られませんが、あっても不思議はないとはいえます。合ったとは断言できませんが、いつ登場してもおかしくないとはいえるでしょう。

時代が下ると、あちこち見られるようになります。納経帳を持って巡拝する人が増え、対応する機会が増えたことが理由の一つだろうと思います。江戸時代には、東寺や秋葉寺、豊川稲荷などのように、刷り物の納経印で対応するように決まっていたところもあるようです。

坂東1番杉本寺・14番弘明寺の納経

文化7年(1810)坂東1番杉本寺(右)と14番弘明寺。

四国43番明石寺の納経

文化8年(1811)四国43番明石寺。四国八十八ヶ所で刷り物の納経印は珍しいと思います。サイズが小型というのも珍しい例になります。

妙厳寺・秋葉寺の納経

文政5年(1822)豊川稲荷・妙厳寺(右)と秋葉山秋葉寺。

蓮台寺の納経

文政6年(1823)倉敷市児島の瑜伽山蓮台寺。

東寺の納経印(天保11年)

天保11年(1840)東寺。このブログのトップ画像にも使っているものです。明治初年までこれが使われていたようです。

海神社の御朱印

明治16年(1883)垂水の海神社。当時は国幣中社だったようです。この頃の神社、刷り物での対応が少なくなかったようです。

昔の印刷物は帳面に版木で押すか、一枚の紙に押すかの違いだけで、現代の印刷物と同列に扱えないかもしれませんが、決して珍しいというわけではありません。

というようなことで、書置きやスタンプの御朱印が昔からあったことは議論の余地がありません。決して近年のものというわけではないのです。

まあ、それでもいただかないというのは各自の勝手ですが、その価値観を他人に押しつけたり、神社やお寺の方に不快感を与えないようにはしてもらいたいものです。

直接の揮毫が欲しいのは時代を超えた共通の心理

ところで、スタンプ=版木押しでもいいとはいっても、やはり直接筆で揮毫していただくほうが有り難いと感じるのは人間心理として仕方のないことでしょう。これは江戸時代の人も同じだったようで、嘉永2年(1849)の四国八十八ヶ所の納経帳に面白い例が残っています。

四国82番根香寺の納経

右のページは、薄くて見えづらいのですが、四国82番根香寺の版木押しの納経印、左の頁は空白になっています。

四国82番根香寺・83番一宮寺の納経

そして次のページ、右に墨書の根香寺の納経印、左に83番一宮寺の納経印。

たぶん、根香寺では墨書ができる人がいるときは墨書、いないときは版木押しで対応していたのでしょう。最初、版木押しで納経を済ました後、出発前に墨書で対応しているのを見かけたのでしょう。見開きの向かいのページにいただくのは気まずいので、その次のページにいただいたのだろうと思われます。

日付がないので、同日か翌日かわかりませんが、前日に納経を済まして根香寺で一泊し、翌日出発前に墨書で対応しているのに気がついたのかもしれません。版木押しの写りが悪かったのも理由の一つかもしれませんが…

何となく持ち主の気持ちがわかる気がします。

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コメント

  1. 吉備 より:

    秋葉寺の刷物ですが、曹洞宗のお札ってこのような書体が多いですよね。
    豊川稲荷、群馬の迦葉山などもそうだった気がします。変に四角ばった明朝体というか。

    以前から気になっていましたが、最近のことだと思っていました。
    江戸時代から続いていることに驚きです。
    何か意味があるのか気になります。

    • こまいぬ より:

      コメントありがとうございます。

      明朝体は、明代から清代にかけて(日本の室町時代から江戸時代初めにかけて)成立し、
      仏教や儒教の典籍の印刷に使われました。

      つまり江戸時代の知識階層にとっての最先端の書体だったの思います。
      それが伝統となって、現在までつながっているのではないでしょうか。