書置き・スタンプの御朱印(上)

御府内18番愛染院の納経印

Wikipediaの「朱印(神社仏閣)」の項目を見ると、

近年では寺社名や本尊の墨書せず寺社名や本尊の入った印章(スタンプ)を押す、あらかじめ書置きした別紙、墨書を複写した別紙を、渡されるもしくは貼り付けられる寺社もある。

という一文があります。

墨書部分をスタンプにした御朱印や書置き、複写の御朱印があるということ自体は事実なので特に問題はないのですが、それが「近年」のことだとする根拠がよくわかりません。Wikipediaは独自研究禁止のはずですが、一般的な共通認識がそうなのでしょうか。

また、そういう認識からでしょうか、某巨大掲示板の御朱印スレッドなどに、書置きや墨書部分をスタンプにした御朱印を難ずるような書き込みをする輩がいるようです。自分がもらわないというのは勝手ですが、根拠もなく(あるいは誤った認識を根拠に)他人に的外れな価値観を押しつけるのは見苦しいの一語に尽きます。

金を払っているのだからなどという向きもあるようですが、たかだか300円や500円の金で墨書を要求したり、字の巧拙を云々したりするなど、ちょっと感覚がおかしいのではないかと思います。よく不特定多数の見るところで恥ずかしくないものだとかえって感心するのですが、匿名だから大丈夫なのでしょうか? よくわかりません。

それはともかく、書置きやスタンプの御朱印について、価値観は各自の自由ですから、それを論じても意味がない(他人に押しつけなければいい)と思うのですが、「近年」のものかどうかは客観的事実として確認することができますし、誤った認識が広がって価値観が歪められるのも望ましくありません。

書置きの御朱印も、スタンプの御朱印も、その起源は江戸時代にあります。手許の資料からその実例を紹介して、決して「近年」のものではないことを確認しておきたいと思います。

書置きの御朱印(納経印)

まずは書置きの御朱印から。

湯殿山神社の御朱印

書置きの御朱印を初めてもらったのは平成9年、湯殿山に参拝したときです。すでに伊勢神宮で御朱印をいただいてはいたものの、それほど関心はなかったので、この時も持参していませんでした。ところが、その年は丑年の御縁年ということで、せっかくの機会と思って書置きのものを拝受したわけです。

そういうわけで、むしろ書置きは有り難いものというところから始まっていますし、神社やお寺も、人出に余裕があるところばかりではないわけですから、むしろ合理的だし、慌てて対応するよりお互いにいいだろうと思うわけです。もちろん、直接書いていただいたほうが有り難いのは当然のことですが、それは当たり前のことではなく、有り難いものだという心持ちが大切だと思うわけです。

それでは、書置きの御朱印=納経印の古い例を見ていきます。最も古い例は、やはり享保10~12年(1725~27)の納経帳に見ることができます。

四国83番一宮寺の納経

享保11年(1726)四国83番一宮寺の納経印。紙を横長に使っています。納経帳に貼り付けるには不都合な形です。納経請取状の様式を残しているのかもしれません。そもそも納経請取状を綴っていたのが納経帳の起源であることを考えると、その過渡期には納経請取状とも書置きのものとも区別できないものが授与されることも多かったと考えるのが自然です。

つまり、納経帳が登場した時代から書置きの御朱印=納経印はあったと考えられるわけです。ただし、別紙に墨書というのは少なく、版木押しのものが多いのですが、別紙で版木押しは刷り物(印刷物)として考えるべきでしょう。

四国13番大日寺の納経

同年、四国13番一宮大明神・大日寺。

以下、時代を下ります。別紙に墨書しているものに限定し、版木押しのものは省きます。

飯綱寺の納経

文化7年(1810)千葉県いすみ市岬町の飯綱寺。波の伊八の彫刻で有名です。伊八が飯綱寺の本堂で腕を振るったのは14年ほど前、寛政8年(1796)のことです。

西国11番醍醐寺女人堂の納経

文化10年(1838)宇治市炭山の醍醐寺女人堂。

伊弉諾神社の御朱印

明治16年(1883)伊弉諾神社(現・伊弉諾神宮)。当時はまだ国幣中社だったようです。

籠神社の御朱印

昭和3年(1928)籠神社。

以上を見れば、書置きの御朱印は江戸時代から明治、昭和までずっと授与されており、「近年」のものではないことは明白でしょう。

次回はスタンプ(版木押し)の御朱印

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