高山神社(津)

三重県津市丸之内27-16 [Mapion | googlemap]

高山神社

高山神社(こうざんじんじゃ)
正式名称:高山神社
御祭神:藤堂高虎霊
創建年代:明治10年(1877)
例祭:10月5日
社格等:旧県社

高山神社は、初代津藩主・藤堂高虎を祀る神社です。社号は藤堂高虎の法号「寒松院殿道賢高山権大僧都(あるいは高山道堅寒松院)」から二字を取ったもので、「こうざんじんじゃ」と読みます。

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高山神社の御由緒

藤堂高虎は弘治2年(1556)近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県犬上郡甲良町)に、土豪・藤堂虎高の次男に産まれました。はじめは浅井長政に仕え、姉川の合戦で武功を挙げるなどしましたが、浅井氏滅亡後は主君を次々変え、流浪の生活を送りました。

天正4年(1576)羽柴秀吉の弟・秀長(後の豊臣秀長)に300石で召し抱えられると頭角を現し、天正13年(1585)には1万石の大名となりました。秀長没後は、その甥で養子となった豊臣秀保に仕えますが、秀保が早世したため出家して高野山に登ります。

しかし豊臣秀吉がその際を惜しみ、生駒親正を派遣して説得、還俗して伊予国板島(後の宇和島)7万石の領主となりました。

秀吉没後は家康に接近、関ヶ原の合戦では東軍側で活躍し、伊予半国20万石を与えられます。その後も江戸城の改築や大坂の陣で功績を挙げ、伊勢国津32万石の藩主となりました。

徳川家康は高虎を篤く信頼し、外様でありながら譜代として扱い、亡くなるときに枕元に侍ることを許すほどでした。

寛永7年(1630)江戸の藩邸で没する。享年七十五。

宇和島城・今治城・丹波篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城・伏見城・大坂城・江戸城などを築城や修築を手がけ、加藤清正や黒田如水とならぶ築城の名手としても知られます。

江戸時代、藤堂家では高虎着用の大兜を御霊代とし、高虎の神霊を津城内に祀っていたそうです。

明治維新の後、神社創建の議が起こり、明治10年(1877)下部田村の両社八幡社境内に神祠が設けられました。藤堂家の山荘内、現在の津偕楽公園にあったようです。明治12年(1879)には県社に列しました。

明治34年(1901)高虎以来、歴代藩主の居城であった津城本丸跡に仮遷座。明治36年(1903)本殿が落成し、正遷宮式が執り行われました。

明治41年(1908)には、下部田の両社八幡社(無格社八幡社)が高山神社の境内に遷座合祀しました。高山神社の境内社でありながら「八幡神社」と単称することを許可され、贄崎町(現・港町)の村社浅間神社、万町(現・万町津)の村社大山祇神社など津市内の神社を次々に合祀、村社となっていました。三重県神社庁の神社検索を見ると、現在は本社に合祀されているようです。

昭和20年(1945)津市大空襲により社殿が焼失。翌21年(1946)再建されますが、昭和44年(1969)津市都市計画復興事業に伴い、現社地に社殿を造営、翌年4月に遷座祭が行われました。

高山神社の御朱印

御朱印は社務所にていただきました。

高山神社の御朱印

上の印は津城に「伊勢津城址鎮座」。石垣の上に社殿があることから、昭和44年の遷座以前の様子を描いたものと思われます。下の印は「高山神社」。

7人の主君を渡り歩いた男 藤堂高虎という生き方7人の主君を渡り歩いた男 藤堂高虎という生き方

高山神社の参拝記

高山神社に参拝したのは平成28年の3月、伊勢神宮に向かう途中でした。お城公園の南西に南面して鎮座しているのですが、津観音から徒歩で向かったため、お城公園側の裏参道から参拝するような形になりました。

津城

津城、丑寅櫓。昭和33年に復元されたものだそうです。

藤堂高虎公像

藤堂高虎像。

没落した土豪の子どもから身を起こして32万石の大大名となり、武勇に優れるだけでなく内政にも手腕を発揮し、文化人としても優れていたという人物なのですが、主君を8人も変えたということから否定的な評価を受けることが多いようです。

しかし、豊臣秀長に対しては没後も跡継ぎの秀保を支えており、秀保が亡くなると出家しているほどですから、忠義に欠ける人物と見るのは如何なものかと思います。単なる変節漢であれば、老獪な徳川家康が信頼するはずがないと思うのですが。

高虎から見て、仕えるに値する主君というのは豊臣秀長と徳川家康だけだったのではないかとも思えます。

さて、裏参道から境内に入ったものの、いったんそのまま表に抜け、表参道から入り直しました。

鳥居

表参道の鳥居。

手水舎

手水舎。水盤は鉄製のようです。

城山稲荷神社鳥居

境内社・城山稲荷神社の鳥居。社殿まで朱の鳥居が奉納されています。

城山稲荷神社

城山稲荷神社

城山稲荷神社。

元は宇治山田町(現在の伊勢市)浦口に祀られ、二八稲荷神社と呼ばれていました。津市民の崇敬が篤く、毎年2月と8月の毎日、それ以外の月の2と8の日には多数の津の商工業者や一般市民の参詣者が長蛇の列をなして参詣し、地元の人よりも多いほどだったといいます。

明治44年(1911)津市長が宇治山田町長に懇請し、津城内の高山神社境内に遷座。城山稲荷神社と改称し、津市の商工業者と産業育成の守護神として崇敬しました。現在でも2月8日の大祭及び2と8のつく日には、商売繁盛・開運隆盛・不況打開・厄祓・安全祈願などのご祈祷をしているそうです。

拝殿

高山神社の拝殿。脇には清酒「高虎」の樽がありました。

拝殿の右側を入ると、お城公園に抜けることができます。

針塚

針塚。

山神

山神様。3体あります。

国会図書館デジタルライブラリーの『三重県神社誌』(大正8~15)を見ると、高山神社の境内社・村社八幡神社には山神社が4社合祀されています。その内の1社は無格社で、3社は無格社八幡神社(両社八幡社)・村社浅間神社・無格社住吉神社の境内社です。もしかすると、この三つの境内社・山神社だったのかもしれません。

本殿

本殿。神明造です。

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