智恩寺〈文政8年〉

智恩寺の納経印

文政8年『神社仏閣順拝帳』
天橋山 智恩寺(ちおんじ)

智恩寺の納経印

松尾寺の翌日、日本三文殊の一、切戸(きれと)の文殊、九世戸(くせど)の文殊として名高い天橋山智恩寺に参拝しています。

智恩寺は天橋立の南端に向かい合う場所にあります。天橋立は智恩寺東方で切れており、そこを九世戸(九世渡)、あるいは切戸(切渡)と呼びます。九世戸から北を大天橋(だいてんきょう)、南を小天橋(しょうてんきょう)というそうです。

寺伝によれば、大同3年(808)平城天皇の勅願により創建され、延喜4年(904)醍醐天皇より天橋山智恩寺の号と勅額を賜ったといいます。もとは真言宗でしたが、嘉暦年間(1326~29)嵩山居中が入って禅宗に改められました。古くより文殊菩薩の霊場として信仰を集め、室町時代には足利義満がたびたび参詣しています。謡曲「九世戸」の題材になり、雪舟の『天橋立図』にも当寺が描かれています。

多宝塔は明応10年(1501)の建立で重要文化財。その他、文殊堂・山門・庫裏などは太郎助が参拝した当時からあった建物です。

目次

智恩寺の納経

智恩寺の納経印

参拝帳を見ると、墨書は右から
「奉納経」「行者丈」
「丹後国九世渡」(九世渡=九世戸)
「本尊文殊大菩薩」
「文政八乙酉」「三月四日」
「知恩寺」「執事」

寺号のくずし字ですが、一文字目が「智」ではなく「知」になっています。

中央の朱印は十六八重菊の御紋で、勅願寺であることを示すと思われます。右上の印は判読できません。左下は黒印で、「橋山知事」だと思われます。

智恩寺の概要

現名称:智恩寺
御本尊:文殊菩薩(切戸の文殊、九世戸の文殊)
所在地:丹後国与謝郡文殊門前(京都府宮津市文殊)
宗派等:臨済宗妙心寺派
http://www.monjudo-chionji.jp/

◆文政8年『神社仏閣順拝帳』
松尾寺 → 智恩寺 → 成相寺

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