文政8年『神社仏閣順拝帳』
四国83番 神毫山 一宮寺(いちのみやじ)
四国八十八ヶ所には、四つの国それぞれの一宮が含まれますが、いずれも特殊事情があります。本来の83番札所である讃岐国の一宮・田村神社は、江戸時代の早い時期に神仏分離が行われ、旧別当の大宝院(一宮寺)が分離して札所となりました。
通常、江戸時代の納経帳では一宮寺だけで納経している例が多いのですが、太郎助の順拝帳には一宮寺と田村神社両方の納経印があります。
延宝7年(1679)、田村神社は高松藩主・松平頼重の命により神仏習合の両部神道から唯一神道に改められました。大宝院・弥勒院など13あった宮寺は大宝院のみを残して廃されました。大宝院は田村神社の社領50石のうち5石5斗を充てられて分離し、神前奉仕を停止、四国83番札所を継承しました。これが一宮寺です。
寺伝によれば、大宝院は義淵僧正が大宝年間(701~04)に開創したといいます。和銅年間(708~15)田村神社が讃岐国一宮に選ばれた際、行基菩薩によって第一別当に定められたとされます。大同年間(806~10)には弘法大師が留錫し、堂宇を修築するとともに、聖観世音菩薩の像を刻んで本尊としたと伝えられます。
一宮寺の納経
『順拝帳』を見ると、墨書部分は版木押しで、右から順に
「奉納妙典」
「四国八十三番」
「サ(聖観音の種字)」「正観世音宝前」
「讃州 神毫山」「一宮寺」
「酉三月十一日」
これは、版木・書体は変わっているものの、天保11年(1840)の一宮寺の納経印と同じ内容です。
朱印は中央上に十六八重菊の御紋。左下の印は「寶」で、院号の大宝院に因むものと思われます。
一宮寺の概要
現名称:一宮寺
御本尊:聖観世音菩薩
創建年代:大宝年間(701~04)
所在地:讃岐国香川郡一宮村(香川県高松市一宮町)
宗派等:真言宗御室派
コメント