四国75番 善通寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』
五岳山 屏風浦 善通寺(ぜんつうじ)

善通寺の納経印

成相寺を参拝した太郎助は、そのまままっすぐ四国へ渡り、75番札所・善通寺に参拝しています。言わずと知れた弘法大師の御誕生所であり、高野山・東寺とともに弘法大師の三大霊場とされます。

途中の旅程はわかりませんが、丹波街道経由で大阪に出て、船で丸亀へ渡ったと考えるのが妥当だと思います。当時、金比羅参詣の人たちは(金毘羅さんは善通寺の南にある)、東から来る場合は丸亀、西から来る場合は多度津に上陸していたそうなので、丸亀への船便を使うのが便利だったと考えられるからです。

ただ、丸亀に上陸した人は78番道場寺(現在の郷照寺)、多度津に上陸した人は77番道隆寺から巡拝を始めるのが一般的でしたから(そのほうが効率がいい)、わざわざ善通寺から始めるというのは太郎助のこだわりを感じさせます。因みに、元禄2年(1989)に刊行された寂本の『四国徧礼霊場記』は善通寺から始まっています。

善通寺は大同2年(807)唐より帰国した弘法大師が、父より寄進された4町四方の土地に、長安の青龍寺を模して建立したと伝えられます(東院・伽藍)。寺号は父・佐伯直田公の諱・善通(よしみち)に因むとされます。西院・誕生院は鎌倉時代、弘法大師が誕生した佐伯氏の邸宅跡に建立されたものです。

昭和6年に大本山に昇格し、派名も善通寺派に改称、同16年に総本山となっていますが、当時は現在大本山となっている小野門跡・随心院の末寺でした。

順拝帳を見ると、文字の部分は印判です。善通寺は昭和の初めまで印判を使っていたようです。

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善通寺の納経

善通寺の納経印

右から順に
「勅願所」
「讃州屏風浦」
「善通寺伽藍」
「大師御誕生所」
「誕生院堂司」

中央の朱印はありません。これも長い間伝統として続いていたようですが、昭和になって、現在のように弘法大師の御手印を押すようになりました。右上の印は「四国七十五番」、左下の印は判読しづらいのですが「屏風浦五岳山善通寺」のようです。

この納経印について注意しておきたいのは、印・文字ともに御本尊を表す要素がまったくないことです。これは、もともと納経帳においては御本尊の名や印が中核的な要素でなかったというだけではなく、不可欠の要素でもなかったという推測を裏付けるものです。すでにこの時代、四国の札所の多くでは御本尊の名と種字の印が中心的な要素になりつつあるのですが、善通寺ではより古い伝統が残されていたのだろうと思います。

また、この順拝帳では善通寺のみ、印と日付が二つあります。四国を回り終えた後、もう一度善通寺に参拝しているようです。最初の参拝が3月10日、2度目の参拝が4月8日。29日間で回り終えているようです。

善通寺の概要

現名称:善通寺
御本尊:薬師如来
所在地:讃岐国多度郡善通寺村(香川県善通寺市善通寺町)
宗派等:真言宗善通寺派総本山(当時は随心院の末寺)
http://www.zentsuji.com/

成相寺 → 善通寺 → 金倉寺

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