明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
ブログを立ち上げて一月余りになりますが、今のところ無事に更新できています。いつまでこのペースを維持できるかはわかりませんが、無理せず気長にやっていきたいと思います。よろしく応援をお願いいたします。
アクセスログを見ると、御朱印に関する考察より寺社参拝や御朱印の紹介のページのほうが需要があるようです。まあ、御朱印拝受を趣味にしていれば、御朱印についての薀蓄より、御朱印拝受のための情報のほうが重要になるのは当然ではありましょう。
そもそもこのブログを立ち上げたのは、御朱印についての考察をきちんとまとめていると大変なので、とりあえず思いつくことを書いていこうと考えたのがきっかけでした。
とりあえず、昨年は「御朱印」という名称は昭和以降のものということについて書きましたが、今年は「納経」及び「納経帳」とは何か、ということについて書きたいと考えています。あとは真宗の御朱印についても書いておきたいと思っています。
さて、以下は多少のネタバレ(?)と私自身の宗教観とかこだわりについて書きますので、読みたくない方はここまでにしていただいたほうがよろしいかと。本年もよろしくお願いいたします、ということで。
まず「納経」についての結論は簡単で、江戸時代の納経帳でいうところの「納経」とは、般若心経を書写して納めるとかいうような(一般的な納経の)意味ではなく、「納め札を納めて納経帳に御判(納経印)をいただけば、法華経一部を納経したのと同じ功徳がいただける」ということだった、より端的に言えば、「納経帳に御判(納経印)をいただくこと」が「納経」だったということです。
四国八十八ヶ所で、納経所で納経印をいただくときに「お納経をお願いします」というのは、まさにこの意味をそのまま残していると考えるのが妥当でしょう。
もちろん、当時も普通の納経(般若心経など)も行われていましたが、それで納経帳に御判(納経印)をいただくということはなかったとみて間違いありません。そういう納経帳の例がないということも根拠の一つですが、通常の納経、例えば般若心経の写経を奉納したような場合の受領証はまったく形式が違っていたことを示す資料が手に入りましたので、そういったことを提示しながら、納経帳から御朱印に至る歴史を考察していきたいと思っています。
写経自体はいいことですから、実際に写経を納めるというのは結構なことだと思いますが、高崎の某寺院のように、納経しなければ説教を垂れるなどというのは無知をさらしているだけの恥ずかしい話だという根拠は示しておきたいと思います。
もっともらしい「宗教」やら「信仰」やらの話で人を脅す(別に霊感商法だけが脅しではありません。本当の宗教とか本当の信仰などとのたまって、相手を不安にさせたり萎縮させたりするのも脅しの一種です)宗教者というのは本当に我慢なりません。とはいえ、「徳あるは讃むべし、徳なきは憐れむべし」正面から喧嘩する必要はありませんが、心の中で憐れんであげればよいのだろうと思います。
次に、真宗の御朱印については、真宗の本○寺派や大○派が御朱印の授与をしなくなったのは戦後のことであって(同じ真宗でも高田派などは授与しています)、戦前はもちろん、江戸時代から他宗派の納経帳と同じように御判をいただく(教義上、納経ではないので納経帳や納経の語はふさわしくありません。何と呼べばいいのか要検討)という習慣があったことについて書こうと思います。証拠の参拝帳込みで。
まあ、あの人たちは御朱印について、こんなもっともらしいことを書いていたりしますからね。
朱印をしない理由(真宗大谷派東本願寺)
言わせてもらえば、この文章自体が、彼らが言うところの「お参りして教えに出遭ったか、また、どんな教えに出遭ったか」ということの結果として、平気で「一度お参りすれば、二度お参りすることはない」などと現実を自分に都合よく歪曲し、その歪曲した現実(つまり虚構)に基づいて自らの優位性を主張できる独善的な人間ができあがるという実例であるわけです。例えば統一教会の熱心で独善的な信者が、他宗教を否定的に論ずる論法と同じなんですよね。そんな教えって、どれほどのもんなんでしょうかね。
もちろん親鸞聖人がそういう人間になるような教えを説いたわけではありませんから、教えに問題があるというよりは、教えの受け取り手に問題があるのでしょうけど(個人というより宗団レベルで)。どんな教えに出遭うかよりも、どう出遭い、どう活かすかが問題であるわけです。栄養のある食物をとっても、消化吸収できなければ意味がありません。それと同じことです。
宗教の教義や教学、理論を学ぶより、神社仏閣に参拝して手を合わせたり、儀礼や祭典に参加するほうが吸収力=感性といっていいでしょうが=を養うためには有効です。信心なんて、後からついてくるものです。理論的・合理的にやろうとするから感性が育たないし、実感が得られなくなるのです。昔の真宗の説教だって非常に芸能的・儀礼的で、聞法というのは儀式に参加するようなものだったわけです。今は違うようですが。
というわけで、現代の真宗の説教を聞くより(昔のは別です)、神社仏閣に参拝して御朱印をいただくほうがよほど有意義であるということは断言しておきたいと思います。頭でっかちな信仰者もどきになりたければ別ですが。
私も長く(特殊な)宗教の世界に関わってきましたが、目に見える形の部分で他宗派・他宗教との違いを強調し差別化しようとする人、「信心」「信仰」を名目に上から目線でものを言う人、露骨に信仰者としてふるまう人、過度に理論に走る人というのは、一様に自分自身が信仰の実感を持っていないんですよね。信仰の実感のなさを優越感によって補おうとする、宗教の世界ではありがちなタイプです。
いかにも自信満々にふるまう人に限って、実は自信がなくて虚勢を張っているだけだったりするのと同じです。
今でも御朱印を授与している真宗寺院もありますので、ひとくくりに言うことはできないでしょうし、御朱印の授与・不授与だけで人や宗教の価値が決まるわけでもありません。ただ、授与しないことに価値を置く(授与しないことを優位性の根拠にする)などというのを見ると、その時点で、ああ自分の信仰に自信や実感がないんだなあと判断できるわけです。
浄○真○本○寺派や真○大○派がなぜ戦後御朱印を授与しなくなったか。それは、本○寺派や大○派の僧侶が、自分たちの掲げている信仰に自信がなくなったから、もしくは実感がなくなったからということだと思いますが、客観的に証明できることではありませんし、直接御朱印に関わる内容でもありませんので、江戸時代から戦前までは真宗でも御朱印の授与が当たり前だったということのみを提示する予定です(本当にそれで抑えられるのか?)。
新年早々、少々過激なことを書きましたが、まあ、たまには自分でもガス抜きを。
ともかく、御朱印とは何ぞやということ、あるいは過去の納経帳や集印帖から推測される神社仏閣霊場の過去や御朱印事情などについて、きちんとした根拠に基づいて整理していきたいというのが、当ブログの今年の目標です。もちろん、過去に拝受した御朱印の紹介やら、昔の納経帳や御朱印の紹介などもしていきます。読んでいただいた方、お付き合いありがとうございました。
今年一年、よろしくお願い致します。また、皆様におかれましてもよき年となりますようお祈りいたします。
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