御朱印考察

「御朱印」という名称について(5)

最後に、なぜ「御朱印」という言葉が使われるようになったかを考えてみたいと思います。 「御朱印」という言葉が定着する以前、寺社でいただく印に決まった名称がなかったということは、『神社山陵参拝記』に「印顆」「御印」「社印」など複数の用語が用いら...
御朱印考察

「御朱印」という名称について(4)

前回は、昭和8年ころの「御手印」とタイトルにある集印帖から、そのころ「御朱印」という言葉が一般化し始めたのではないかという推測を述べました。 (※追記.昭和10年に刊行された野ばら社の『集印帖』に「著名寺社御朱印集」があり、昭和10年には一...
文政8年『神社仏閣順拝帳』

乙宝寺〈文政8年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』 如意山 乙宝寺(おっぽうじ) 文政8年、いよいよ巡拝に出発した太郎助ですが、最初の納経印は越後国蒲原郡乙村、現在の新潟県胎内市にある如意山乙宝寺で受けています。
御朱印拝受

福徳神社(日本橋)

東京都中央区日本橋室町二丁目4-14(Mapion/googlemap) 福徳神社(ふくとく じんじゃ) 正式名称:福徳神社 通称:芽吹神社 御祭神:倉稲魂命/相殿:天穂日命、大己貴命、少彦名命、事代主命、三穂津媛命/合祀:太田道灌、弁財天...
文政8年『神社仏閣順拝帳』

波宇志別神社〈文政7年〉

文政8年『神社仏閣順拝帳』 波宇志別神社(はうしわけ じんじゃ) 由利郡漆畑村の住人・太郎助の『神社仏閣参拝帳』は秋田県横手市の保呂羽山(ほろわさん/標高438m)に鎮座する式内社・波宇志別神社から始まっています。現在は保呂羽山波宇志別神社...
御朱印考察

「御朱印」という名称について(3)

大正期に「御朱印」という言葉が定着していなかったことをうかがわせる資料として、大正13年に朝日新聞社から出版された『御成婚奉祝 神社山陵参拝記』があります。 これは、皇太子(昭和天皇)御成婚を記念して朝日新聞社が東京本社と大阪本社の記者各4...
御朱印考察

「御朱印」という名称について(2)

もともと「朱印」というのは朱肉を用いた印を表す普通の名詞で、それに「御」をつけて丁寧な言い方にしたのが「御朱印」です。 昭和4年(1929)北御堂・津村別院(大阪)。珍しい黒印の御朱印(?)です。 印章には朱肉を用いる朱印と墨を用いる黒印が...
御朱印考察

「御朱印」という名称について(1)

現在、「御朱印」といえば、たいてい神社仏閣に参拝した証としていただく印(と墨書)のことを指します。しかし、本来「御朱印」は神社仏閣の印に限定して使われた言葉ではありません。むしろ、昔は「御朱印」と呼ばなかっただろうと考えられるのです。 神社...
文政8年『神社仏閣順拝帳』

文政八年『神社仏閣順拝帳』

出羽国由利郡漆畑村(現在の秋田県由利本荘市内越)の人が、文政8年(1845)に四国八十八ヶ所全札所と西国三十三所の大半、および道中の神社仏閣を参拝した巡拝帳(納経帳)です。表紙には文政七甲申歳とありますが、実際に巡拝しているのは文政8年(乙...
御朱印拝受

東京五社 元旦初詣巡拝(後)

元旦の東京五社巡拝の続きです。 明治神宮と日枝神社に続いて靖国神社に参拝しました。