「御朱印」という名称について(4)

伊勢神宮の御朱印
昭和10年伊勢神宮御朱印

伊勢神宮(昭和10年頃)

前回は、昭和8年ころの「御手印」とタイトルにある集印帖から、そのころ「御朱印」という言葉が一般化し始めたのではないかという推測を述べました。

(※追記.昭和10年に刊行された野ばら社の『集印帖』に「著名寺社御朱印集」があり、昭和10年には一般的に使われるようになっていたことが確認できます/2015.10.25)

そう考える理由がもう一つあります。直接的に立証できる根拠はないのですが、私は「御朱印とは神仏の御心が込められたもので、単なる記念スタンプではない」という御朱印の位置づけ確立されたのが、昭和7、8年から10年代の初めではないかと考えています。それにともなって、一般的な記念スタンプと明確に区別するための呼び方が必要になったのではないかと思うのです。

昭和7、8年ころから10年ころというのは、全国的なスタンプ蒐集ブームの真っ最中でした。

(※追記.上記野ばら社の『集印帖』の後書きの記述から、本格的なスタンプ蒐集ブームは昭和10年もしくは9年頃からではないかと思われます/2015.10.25)

記念スタンプの登場は明治にさかのぼるようです。大正から昭和の初めにかけて、折り本形式の集印帖の普及に伴なって記念スタンプも進化し、凝ったデザインのものや、寺社の印を思わせるものなどが現れました。寺社の印と記念スタンプの混在も、この頃から見られるようになります。

さらに、昭和6年に郵便局の風景印と鉄道の駅スタンプが登場すると、折からの旅行ブームと相まって、空前のスタンプブームが起こります。その結果、スタンプ蒐集の一環として神社やお寺の印を受ける人たちが大量に出現したようなのです。

それまでの集印はかつての納経帳の伝統を残し、神社仏閣参詣の一要素としての印の拝受でした。集印を目的とする参拝だったかもしれませんが、あくまで神社仏閣の印の拝受が主目的で、感覚的には現代の御朱印拝受に近いものだったと思われます。一般の記念スタンプが混在する場合でも、主体は寺社の印で記念スタンプは間借りのような扱いでした。

ところが、新たに出現したスタンプ蒐集家たちはとにかくスタンプを集めることが目的で、神社やお寺の印もその一種という扱いでしかありません。駅スタンプであろうが、観光地の記念スタンプであろうが、神社仏閣の印であろうが区別なく、印・スタンプの類なら何でも集めるという具合です。中には役場や学校の印まで押してもらう猛者もいたようです。つまり、寺社の印が記念スタンプと同列に扱われるようになったわけです。

昭和10年伊香保近辺

これは昭和10年の集印帖。右ページ上は伊香保駅(東武伊香保軌道線の駅。昭和31年廃止)の駅スタンプ、下は1銭5厘切手と伊香保郵便局の風景印、中央のページは伊香保神社の御朱印、左ページは伊香保温泉関係の記念スタンプです。この集印帖は、比較的記念スタンプの割合が少ないほうなのですが、それでもこういう具合です。

このような風潮を神社界・仏教界が問題視するのは当然のことです。それで、この時期に神社や仏閣で授与する印についての意義を再確立しようとしたのではないかと推測するわけです。よく御朱印の説明にある「単なる記念スタンプではない」「記念スタンプを一緒に押すべきではない」といった文言も、当時の事情を反映しているのではないでしょうか。

このことを示唆するのが、一部の神社における朱印の変更です。この時期、それまで参拝記念などの印を用いていた熱田神宮や橿原神宮などが神社名だけの印にしているのです。

そして、昭和10年代の前半(たぶん昭和11年頃)には伊勢神宮が「内宮参拝」「外宮参拝」の丸印から現在のものと同じ「内宮之印」「外宮之印」の角印に変更します。一般の記念スタンプとの明確な差別化が意図されているように思います。

伊勢神宮昭和14年の御朱印

伊勢神宮(昭和14年)

そういう差別化の一環として、「御朱印」が寺社の印を示す名称として用いられるようになったのではないかと考えるわけです。

神社仏閣参拝印帖

昭和10年『神社仏閣参拝印帖』

とはいえ、もしこの時期に「御朱印」という言葉が使われ出したという推測が正しくても、それがすぐに定着したということはなかったでしょう。上の集印帖は昭和10年のもので、『神社仏閣参拝印帖』というタイトルになっています。最終的に「御朱印」という言葉が定着するのはさらに後、もしかすると戦後のことなのかもしれません

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