櫛玉比売命神社(くしたまひめのみこと じんじゃ)
正式名称:櫛玉比売命神社
旧称:祓座大明神
御祭神:天道日女命/配祀:御炊屋姫命
創建年代:応神天皇の御代
鎮座地:愛媛県松山市高田702
社格等:式内社、旧郷社
【御由緒】
風早地方(旧北条市)の総鎮守で、国津比古命神社と合わせて風早宮大氏神と総称します。
応神天皇の御代、物部阿佐利(もののべのあさり)が風早の国造に定められました。
阿佐利は風早の国魂を祀る国津比古命神社に物部の祖神である天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊とその子・宇麻志麻治命を合わせ祀りました。
この時、櫛玉饒速日尊の妃神である天道日女命(あめのみちひめのみこと)と御炊屋姫命(みかしきやひめのみこと)をお祀りしたのが櫛玉比売命神社です。
仁寿4年(854)従五位下を奉授されました。延喜の制では国津比古命神社とともに小社に列しています。
元は現在地より南の小山に祀られていましたが、寛永年間(1624~45)現社地に遷座しました。当時は「祓座大明神(はらいにます だいみょうじん)」とも称していましたが、享保年間(1716~36)元の社号に復しました。
明治29年(1896)郷社に昇格しました。
国津比古命・櫛玉比売命両社を中心とする風早地方の秋祭りは、多数の「だんじり」が半鐘を打ち鳴らしながら練り歩くことから「風早の火事まつり」として知られます。
宮入りの際には、神輿が壊れて中から御神体が飛び出すまで石段から落とす「みこし落し」が行われ、日本三大荒神輿の一つとして有名です。
櫛玉比売命神社の御朱印
櫛玉比売命神社の御朱印は宮司さんのお宅でいただくことができます。また、こちらで国津比古命神社の御朱印もいただきました。
平成21年にいただいた御朱印。
平成26年にいただいた御朱印。中央の朱印は「式内 名神 櫛玉比売命神社之御璽」、平成21年にいただいたものと同じです。
櫛玉比売命神社の参拝記
国津比古命神社の参拝を終え、櫛玉比売命神社に向かいました。両社はそれぞれ独立した神社ですが、同じ境内の二つの丘に向かい合って鎮座しています。地元では両社を合わせて風早宮大氏神と呼ぶそうです。
櫛玉比売命神社の御祭神・天道日女命と御炊屋姫命は国津比古命神社の御祭神・櫛玉饒速日尊の妃神です。
最初の参拝は平成21年8月。御朱印もいただきましたが、1ページに国津比古命神社と2社分の印が押してあったため、できれば1社ずつ別にいただきたいと思い、26年8月に再度の参拝をしました。
風早宮大氏神の境内入口。社号標は国津比古命神社。鳥居の先に、例大祭の宮入りで「みこし落し」が行われる石段があります。
石段を上ると、左(北)に国津比古命神社の八脚門、右(南)に櫛玉比売命神社への石段があります。
櫛玉比売命神社へ向かう石段。櫛玉比売命神社が鎮座する丘は全長約75mの愛媛県下でも有数の規模を持つ前方後円墳です。因みに国津比古命神社のある丘も全長約50mの前方後なのだそうです。
和霊神社。
素鵞社。
拝殿。
本殿。
ところで、まだ実際に見たことはないのですが、国津比古命神社と櫛玉比売命神社の例大祭は「風早の火事(ひのこと)まつり」と呼ばれ、特に宮入りの際、神輿が壊れて御神体が出てくるまで石段の上から落とす「みこし落し」が有名です。YouTubeに動画がありました。
豪快です。神輿は毎年新しく造るそうで、再生復活・神威の更新といった意味があるそうです。
因みに「火事まつり」の名は祭礼に奉納されるだんじりの赤い幕と提灯の灯り、そして半鐘の音が火事を連想させることによるそうです。こちらも動画がありました。
かなり賑やかなので周辺環境に要注意。
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