浄土真宗と御朱印(3)

前回、「浄土真宗は御朱印をしない」という常識について、御朱印をしないという方針を出しているのは本願寺派と大谷派だけであって、他の真宗各派は御朱印を授与しているということを確認しました。

今回は、「浄土真宗は御朱印を授与しない」のに、本願寺派と大谷派以外の真宗各派が御朱印を授与しているのではなく、もともと浄土真宗は御朱印を授与しており、その歴史は江戸時代にさかのぼること、戦後になって本願寺派と大谷派が授与しなくなったのだということを確認したいと思います。

目次

戦前の御朱印

まずは戦前の御朱印から。本願寺派や大谷派も戦前は御朱印を授与していました。論より証拠で、以下、戦前の真宗本願寺派・真宗大谷派の御朱印の実例を確認してみたいと思います。自分で言うのもなんですが、質・量ともなかなかの豪華版ではないかと思います。

西本願寺の御朱印

まず本願寺派本山・京都の西本願寺の御朱印。昭和2年。当時は本派本願寺と呼ばれることが多かったようです(本派は本願寺派のこと)。世界遺産に登録されているように京都の代表的な観光地であり、戦前の御朱印としては比較的見る機会が多いようです。龍と「本願寺」。現在は御朱印を授与しておらず、記念のスタンプを準備しているようです。

西本願寺の御朱印

同じく西本願寺、昭和9年。上の印は昭和2年のものと同じ、下は「本願寺参拝記念」。

東本願寺の御朱印

こちらは大谷派本山・東本願寺。昭和2年、上の西本願寺と同じ日のもの。当時は大谷派本願寺と呼ばれることが多かったようです。現在は宗教法人としては解体されて正式名称は真宗本廟とされ、東本願寺は通称になっています。こちらも比較的よく見る機会が多い御朱印です。八方崩しの書体で判読しづらいのですが「本願寺」のようです。現在は御朱印を授与していません。

東本願寺の御朱印

同じく東本願寺、昭和9年。上の印は「大谷派本願寺」、下は「参拝記念」。

津村別院の御朱印

本願寺派、大阪の北御堂・津村別院。昭和4年。珍しい黒印で、「津村御坊」。現在は御朱印の授与をしていないようです。

難波別院の御朱印

大谷派、大阪の南御堂・難波別院。北御堂と同じ日のもので、こちらも黒印ですが、判読できません。因みに大阪のメインストリートである御堂筋の名は、沿道に北御堂と南御堂があることによります。こちらも現在は御朱印の授与はないようです。

金沢西別院の御朱印

石川県金沢市、本願寺派の金沢別院(西別院)。昭和5年。上の印は白抜きの八方崩しで、判読しづらいのですが「龍谷別坊」ではないかと思います。「龍谷」は西本願寺の山号です。その下は「役所」。現在は御朱印に関する情報がなく、授与はしてないだろうと思います。

金沢東別院の御朱印

こちらは大谷派の金沢別院(東別院)。昭和5年。上の印は八方崩しの書体で判読しづらいのですが、「金澤御坊」のようです。下は「大谷派本願寺金澤別院」。西別院同様、現在は御朱印に関する情報がなく、授与はしてないだろうと思います。

寿経寺の御朱印

同じく石川県加賀市(当時は江沼郡山中町)の無量山寿経寺(大谷派)。昭和5年。山中温泉にあります。蓮如上人が留錫した折、当時の住職で朝倉孝景という尭空が弟子になって改宗したという縁起を持つ、蓮如上人ゆかりの寺です。墨書も「蓮如上人御旧跡地」。

勝興寺の御朱印

こちらは富山県高岡市(当時は射水郡伏木町)の雲龍山勝興寺(本願寺派)。昭和5年。蓮如上人の開創になる土山坊を前身とし、永正14年(1517)佐渡で廃絶していた殊勝誓願興行寺(勝興寺)を再興合併する形で勝興寺の称するようになりました。佐渡に流されていた順徳上皇の勅願によって親鸞聖人が創建したとされ、開基の信念上人は順徳帝の第三皇子で親鸞聖人の弟子となった彦成王とつたえられます。なので、墨書は「順徳天皇勅願所 信念上人開基」。勝興寺は現在でも御朱印を授与しているようです。

内地の寺院ばかりではなく、外地に設立された布教所などでも御朱印を授与していたようです。

本願寺台南布教所の御朱印

本願寺派の台南布教所(台湾)。昭和4年頃。「本派本願寺臺南布教所之印」とあります。

ハルピン西本願寺の御朱印

ハルピン西本願寺。昭和6年、満州事変勃発の約2ヶ月前です。朱印・スタンプともに「哈爾賓本派本願寺」とあります(通常のハルピンの漢字表記は「哈爾濱」)。「横川沖両士」とあるのは、日露戦争で特殊工作に従事し、ロシア軍に捕縛されてハルピンで銃殺された横川省三沖禎介のことでしょう。

東本願寺布哇教団の御朱印

東本願寺布哇(ハワイ)教団、詳しくはわかりませんが、真宗大谷派のハワイ開教区の前身だろうと思います。昭和5年頃。印は「東本願寺布哇教團章」。

北米仏教団本部の御朱印

本願寺派の米国本土における布教組織・北米仏教団の本部。昭和5年頃。所在地はロサンゼルス。昭和19年(1944)に米国仏教団(BCA)に改称しています。本願寺派内での名称は北米開教区になります。

ロサンゼルス仏教会の御朱印

本願寺派、ロサンゼルス本派本願寺だろうと思われます。昭和5年頃。上にシール、下に朱印となっており、日本からの珍しい来客の要望に応えて急遽対応したという感じではありません。形式が決まるほど普通に授与していたと思われます。日本からの渡航者対象はまだ少なかったはずなので、日系の移民を主とする現地の人たちを対象にした御朱印(SEAL)なのでしょう。シールの内部と朱印には「本願寺佛教會」、シールの外周には“HONGUWANJI BUDDHIST CHURCH”とあります。仏教会は「仏教徒の会」ではなくBuddhist Church、すなわち「仏教の教会」という意味のようです。

シアトル本願寺布教場の御朱印

米国シアトル本願寺布教場。現在の本願寺派シアトル仏教会ではないかと思います。昭和5年頃。上のロサンゼルスの仏教会と同じ形式であり、決まった形式があったことを伺わせます。因みに、同じ集印帳にある日蓮宗や真言宗のものは形式が違うので、本願寺派の仏教会が共通する形式を決めていた、つまり積極的に授与していたと考えられます。シールは上下が逆になっており、外周部には“BUDDHIST MISSION SOCIETY”、内側には“INGORPORATED”、“SEAL”、“1905”とあります。1905年に設立された、あるいは法人として認証されたということでしょうか。

以上、戦前は本願寺派・大谷派とも他宗派と変わりなく、というか、むしろ積極的に御朱印を授与していたことがうかがえるのではないかと思います。

次回は、江戸時代の実例を紹介します。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 澱のように溜まってくる抑圧的な歴史決定やイデオロギーに対して
    有効な実証を次々に重ねていく本稿の論証は拝読していて痛快ですね。
    こうした精神史の変転をこそ、宗教主体は引き受けて自らの誇りとも
    為すのが、理想的であると思いますが現実は如何でしょうか。

    • コメントありがとうございます。

      まったくおっしゃる通りですが、現実には難しいのではないでしょうか。
      宗教といっても団体を形成すれば、その維持や個人の保身のために組織の論理が
      優先されるようになります。

      まして、こちらは宗教の皮を被って政治活動というか革命ごっこをしている人たち
      ですし、宗教的には近代仏教学の衝撃を後生大事に絶対視していますから、
      そういった価値観にそぐわないものは(現実的利益をもたらさないもの以外)否定の
      対象でしかないだろうと思います。

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