谷中七福神(後)

10年ぶり2度目の谷中七福神巡拝。

不忍池弁天堂

歩く時間より行列で待つ時間のほうが長いという状況の中、ゴールとなる不忍池弁天堂へ向かいます。

札所寺院の概要と御朱印(長安寺~不忍池弁天堂)

寿老人:長安寺(ちょうあんじ)
正式名称:大道山 長安寺
御本尊:千手観世音菩薩
創建年代:寛文9年(1669)
開山:老山和尚
所在地:東京都台東区谷中五丁目2-22
宗派:臨済宗妙心寺派
http://www.choanji.net/

長安寺の御朱印

中央の朱印は八方崩しの書体で判読しづらいのですが、「佛法僧寶」の三宝印のようです。右上が「無病息災 福徳圓満」、左下が「長安寺印」。

毘沙門天:天王寺(てんのうじ)
正式名称:護国山 尊重院 天王寺
旧称:長耀山 尊重院 感応寺
御本尊:阿弥陀如来
創建年代:文永11年(1274)
開山:日源上人
所在地:東京都谷中七丁目14-8
宗派:天台宗
http://www.tendaitokyo.jp/jiinmei/tennoji/

天王寺の御朱印

中央の朱印は火炎宝珠に毘沙門天の種字「ベイ」、右上は「七難即滅 七福即生」、左下は「護国山天王寺」。

大黒天:護国院(ごこくいん)
正式名称:東叡山 寛永寺 護国院
御本尊:釈迦牟尼如来
創建年代:寛永2年(1625)
開山:生順大僧正
所在地:東京都台東区上野公園10-18
宗派:天台宗
http://www.tendaitokyo.jp/jiinmei/gokokuin/

護国院の御朱印

中央の朱印は火炎宝珠の中に梵字らしきものがあります。大黒天の種字は「マ」ですが、これは違うようです。もしかすると、梵字ではないのかもしれませんが、よくわかりません。右上の印は打出の小槌に「奉拝」、左下は金嚢(巾着)に「護国院」。

弁財天:不忍池弁天堂(しのばずのいけ べんてんどう)
正式名称:東叡山寛永寺 不忍池弁天堂
旧称:天龍山 妙音寺 生池院
御本尊:弁財天
創建年代: 寛永年間(1624~44)
開山:慈眼大師天海
所在地:東京都台東区上野公園2-1
宗派:天台宗

不忍池弁天堂の御朱印

中央の朱印は弁財天の種字「ソ」と「帰敬三宝諸天衆 妙響調伏諸人天」、右上は「福徳円満」、左下は「不忍池弁天堂」

東京七福神を歩く (JTBキャンブックス)東京七福神を歩く (JTBキャンブックス)

谷中七福神の参拝記(後半)

長安寺は東覚寺と不忍池弁天堂のほぼ中間。門前はT字路になっており、北へ行くと修性院から東覚寺方面、南へ向かえば護国院から不忍池弁天堂、東の道は天王寺への往復と、いわば谷中七福神の中心とでもいうべき場所になります。

4.長安寺/寿老人

長安寺

狭い境内に人があふれていました。参拝・御朱印ともに本堂内となりますが、堂内も人でいっぱい。とはいえ、境内が本当に狭いのでしかたのないことでしょう。御朱印は3人で対応、思ったほど待ちませんでした。かなり効率よく対応しているようです。

長安寺の寿老人

寿老人は徳川家康が納めたものと伝えられる等身大の像で、鹿を従え、穏やかな尊容をしています。七福神めぐりの期間中のみ御開帳されるそうです。

5.天王寺/毘沙門天

天王寺

毘沙門堂から山門まで行列ができていました。御朱印は講堂(上善堂)での対応、こちらは非常にスムーズな対応で、ほとんど待たずにすみました。

天王寺の毘沙門天

 

毘沙門天の像は伝教大師御作と伝えられる平安時代のもの(台東区指定文化財)。天台宗に改宗したときに比叡山から移して本尊とされました(明治になって阿弥陀如来を本尊とした)。脇侍の吉祥天と善膩師童子は江戸時代の作。因みに毘沙門堂は昭和32年(1957)放火によって焼失した五重塔の残材を用い、同36年(1961)に建立されたものだそうです。

6.護国院/大黒天

護国院

やはり境内は人でいっぱいでしたが、七福神めぐりの人ばかりではなく、上野公園周辺を散策している人もいたようです。参拝・御朱印ともに本堂内での対応でしたが、それほど待つこともなく、ゆったりとお参りできました。

護国院の大黒天

谷中七福神の大黒天は寛永16年(1639)に徳川家光が奉納したという画像(伝・藤原信実筆)ですが、その前に御前立の木像が安置されています。

7.不忍池弁天堂/弁財天

不忍池弁天堂

参道の入り口近くまで長い行列ができていました。七福神めぐりの人ばかりではなく、一般の初詣客や観光客も多いのでしょう。到着したのは午後3時半ぐらいでしたが、本堂にたどり着いたときには4時を過ぎていました。

不忍池弁天堂の弁財天

不忍池弁天堂は天海僧上により、琵琶湖の竹生島に見立てて築かれた不忍池の中之島に建立されました。御本尊の八臂大弁財天は竹生島の宝厳寺から勧請されたもので、慈覚大師の御作と伝えられます。厨子は閉じられており、その前に御前立の像が安置されていました。

御朱印は本堂前に設けられた臨時の授与所にていただきました。それほど待ちはしませんでしたが、終わったときには4時15分になっていました。2時間で回るつもりのところが、3時間半余りかかったことになります。

たぶん10年前より巡拝する人は増えているだろうと思うのですが、前回は3が日を過ぎた平日だったため単純な比較はできません。ただ確実に言えることは、御朱印帳を持って回っている人がかなり増えているということです。

もちろん色紙を持って回っている人のほうが多いのですが、10年前は御朱印帳の人はほとんどいなくて、周囲の人から珍しそうに見られたものです。それを考えれば、かなり多くなっているのは間違いないと思います。御朱印帳の人の割合が増えたので、朱印所での待ち時間が長くなっている可能性はあるかもしれません。

時間が遅くなったため、他への参拝はあきらめて浅草に向かい、念珠堂の西海店長に新年の挨拶をすることにしました。谷中七福神での話をしたところ、御朱印ブームについては店長も実感しているところで、ともかく御朱印帳が以前とは比較にならないくらいよく売れているのだそうです。

そんなことで1月2日の巡拝を終了。三が日に都心の七福神を巡拝するのは大変だということを実感したため、翌日に予定していた日本橋七福神10年ぶり2度目の巡拝を4日月曜日に順延することにしました。

それによって再び予想外の状況に遭遇することになるのですが、その話はまた来週。

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谷中七福神(前)
谷中七福神(後)
日本橋七福神(前)
日本橋七福神(後)
深川七福神
古今御朱印研究室 > 谷中七福神

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