専修寺 真宗高田派本山

三重県津市一身田町2819 [Mapion|googlemap]

専修寺山門

高田山 専修寺(せんじゅじ)
正式名称:高田山 専修寺
御本尊:阿弥陀如来
創建年代:文明年間(1469~87)
開基:真慧
宗派等:真宗高田派本山
http://www.senjuji.or.jp/

【略縁起】
伊勢国一身田の専修寺は真宗高田派の本山ですが、その歴史は下野国高田の本寺・専修寺に始まります。

寺伝によれば、嘉禄3年(1225)親鸞聖人が53歳の時、夢告によって信州善光寺を参拝し、一光三尊仏を感得しました。翌4年(1226)高田に一寺を建立してこの像を安置し、専修念仏の根本道場したのが高田の本寺・専修寺の開創とされます。

親鸞が関東を去った後、弟子の真仏上人らがこの寺を中心に教団を形成し、高田門徒と呼ばれる関東の最有力教団を形成しました。

第10世真慧上人は後土御門天皇の綸旨によって専修寺を皇室の祈願時とするとともに東海・北陸に教線を拡大しました。一身田の専修寺は、真慧上人が伊勢国内の中心寺院として文明年間(1469~87)に建立したもので、当時は無量寿院(無量寿寺)と称していました。

その後、高田の本寺が兵火で焼失したことや教団内部の事情から歴代上人が一身田に居住するようになり、本山として定着することになりました。天正2年(1574)には門跡号の勅許を受けています。

伽藍は天正8年(1580)と正保2年(1645)の二度にわたって焼失。現在の伽藍はその後の再建によるもので、御影堂、如来堂など多くの建物が国の重要文化財に指定されています。

また、親鸞聖人の御真筆を数多く伝えていることでも知られ、中でも『三帖和讃』3冊と『西方指南抄』6冊は国宝に指定されているほか、『親鸞自筆消息』『唯信抄』『唯信抄文意』『見聞集』『大般涅槃経要文』『尊号真像銘文』が重要文化財に指定されています。

専修寺の御朱印

御朱印は進納所でいただきました。

専修寺の御朱印

中央の朱印は「高田山専修寺」、右上は「高田山」。揮毫は「真宗高田派本山」「専修寺」。

因みにこちらは以前にも掲載した寛政2年(1790)の専修寺の御判。

専修寺の御判

「高田山専修寺御門跡」。本尊名ではなく寺号を書くのは真宗らしい伝統といえるかも知れません。

専修寺蔵『選擇本願念佛集』延書: 影印・翻刻と総索引専修寺蔵『選擇本願念佛集』延書: 影印・翻刻と総索引

専修寺の参拝記

専修寺はJR紀勢本線・一身田駅から徒歩5分ほどのところにあります。駅では学生が大勢降りていましたが、専修寺が経営する高田中学校・高等学校の生徒のようでした。

駅前の通りを進んでいくと、専修寺の門前に出ます。まず優美な唐門、そして豪壮な山門があります。

唐門

唐門。重要文化財。正面奥には如来堂があります。

山門は一番上の写真。宝永元年(1704)の建築と考えられており、やはり重要文化財に指定されています。五間三戸二階二重門という山門としては最高の格式だそうです。正面の通りの左右には塔頭寺院が並びます。寺内町の面影をよく残しています。

御影堂

御影堂。重要文化財。宗祖・親鸞聖人を祀るお堂です。寛文6年(1666)上棟、延宝7年(1679)落慶。全国に現存する木造建築としては第5番目(もしくは6番目)、京都・奈良以外では最大だそうです。中に入って参拝できます。

如来堂

如来堂。御本尊の阿弥陀如来を祀ります。やはり重要文化財に指定されています。ちょうど大涅槃図の公開をしていました。

御廟

御廟の唐門(上)と拝堂(下)。どちらも重要文化財です。奥に親鸞聖人の御廟(お墓)があります。拝堂では、ちょうど門徒の方が法要をされているところでした。

鐘楼

鐘楼。重要文化財。梵鐘は慶安5年(1652)の鋳造、鐘楼は正徳3年(1713)の再建と考えられています。

御対面所

御対面所。重要文化財。5室ずつ3列の座敷からなります。かつては法主が第5室に座を設け、第3室以下の門信徒と対面していたとのことですが、内部は非公開のようです。隣にはやはり重要文化財の大玄関があります。

太鼓門

太鼓門。重要文化財。最上階に太鼓が吊り下げられており、明治の初めまでこの太鼓が街の人々に時刻を知らせていたといいます。平屋門の上に三層の櫓を載せた独特の形状です。

進納所

進納所・茶所。重要文化財。山門を入って右手にあります。各種受付が行われており、御朱印もこちらでいただきました。

にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました