谷中七福神に続いて日本橋七福神を10年ぶりに巡拝しました。
日本橋七福神は、日本橋地区にある八つの神社で構成されています。戦後、荒れ果てた人形町界隈を見た有馬頼寧の発案で始まりました。昭和32年(1957)有馬が亡くなったことにより中断しましたが、昭和51年(1976)に再興されました。
有馬頼寧は旧久留米藩主・有馬家の第15代当主で元伯爵。政治家・農政学者で、農林大臣や日本中央競馬会の理事長を歴任しました。競馬の有馬記念は頼寧の功績を称えて名付けられたそうです。
有馬家といえば、日本橋七福神の一社・水天宮は第10代当主(第9代藩主)有馬頼徳が久留米藩上屋敷に久留米の水天宮の御分霊を勧請したことを起源とします。明治5年(1872)中屋敷のあった現社地に遷座しました。
そういう縁があってのことでしょうが、現在、日本橋七福神はどこから回ってもよいことになっていますが、かつては水天宮を1番として番号が振られていたようです。
発足当初とは構成神社が変わっているようで、昭和58年(1983)頃、布袋尊が常盤稲荷神社から茶ノ木神社になりました。重複する恵比寿神のうち、宝田恵比寿神社も後から加わっているのかもしれませんが、そのあたりは確認できません。
近年は日本橋三越の新年の行事としても定着しているそうです(ここが今回のポイントです)。
各神社の概要と御朱印(宝田恵比寿神社~笠間稲荷神社)
順番は決められていないため、参拝順で書いていきます。
恵比寿神:宝田恵比寿神社(たからだ えびすじんじゃ)
正式名称:宝田神社
御祭神:宇迦之御魂神、素盞嗚命、大国主命、少彦名命、事代主命
創建年代:慶長11年(1606)以前
鎮座地:東京都中央区日本橋本町3-10
社格等:旧無格社
宗教法人としては「宝田神社」となっています。戦前の資料では「宝田稲荷神社」。七福神の恵比寿像は、大伝馬町の名主であった初代馬込勘解由が徳川家康より賜ったものとされます。10月のべったら市で有名です。
朱印は上から「福神璽」、恵比寿神、「寶田恵比寿神社」。右に「日本橋べったら市」の文字が入ります。
恵比寿神:椙森神社(すぎのもりじんじゃ)
正式名称:椙森神社
御祭神:倉稲魂大神、素盞嗚大神、大市姫大神、大己貴大神、四大神 /相殿:恵比寿大神
創建年代:平安時代
鎮座地:東京都中央区日本橋堀留町一丁目10-2
社格等:旧村社
古くから烏森神社(港区)・柳森神社(千代田区)とともに「江戸の三森」と呼ばれて広く信仰を集めてきました。恵比寿神は吉川惟足(吉川神道の創始者で、幕府の神道方に任じられた)が大貴己大神の託宣を受けて相殿に祀ったものです。こちらもべったら市で知られています。
墨書は「椙森恵比寿神」。朱印は中央上から恵比寿神、「須幾のもり ゑびす神(幾には濁点あり)」、「椙森神社参拝之章」。右に「日本橋七福神詣」は宝田恵比寿神社以外共通です。
毘沙門天:末廣神社(すえひろじんじゃ)
正式名称:末廣神社
御祭神: 宇賀之美多麻命、武甕槌命(毘沙門天)
創建年代:慶長元年(1596)以前
鎮座地:東京都中央区日本橋人形町二丁目25-20
社格等:旧無格社
社号は社殿修復の際、本殿から中啓(末広扇)が出てきたことに因むといいます。毘沙門天は武甕槌命という位置づけのようです。
朱印は中央上に毘沙門天、下に「末廣神社」。揮毫は「末廣毘沙門天」。
寿老神:笠間稲荷神社(かさま いなりじんじゃ)
正式名称:笠間稲荷神社東京別社
御祭神:宇迦之御魂神
創建年代:安政6年(1859)
鎮座地:東京都中央区日本橋浜町二丁目11-6
社格等:
笠間藩主の牧野氏が常陸国の笠間稲荷から勧請した邸内社を起源とします。現在は笠間稲荷神社直轄の東京別社とされています。寿老神は、昭和51年(1976)伊勢の猿田彦神社から勧請しました。
揮毫は「笠間寿老神」。朱印は上に寿老神、下に「笠間稲荷神社」。
日本橋七福神の参拝記(前)
巡拝は1月4日の昼前から。2日の谷中七福神で、予定していた時間の倍近くかかったことを教訓として、三が日が終わった平日で唯一の休みとなるこの日に回ることにしました。
因みに前回は元旦のお昼前後。まだそれほどの人出もなく、唯一初詣客が多かった水天宮も弁財天の前は空いていたのでサクサクと回ることができました。都心の正月って本当に人が少ないんだなあと感心したものです。
それほどすんなりとまではいかないまでも、1時間半ぐらいあれば回れるだろうという予定で考えていました。
しかし、世の中はしばしば現実に裏切られます。というより、事前のリサーチに問題があったのですが…
1.宝田恵比寿神社/恵比寿神
日本橋七福神は循環型の霊場で、特に順番も定められておらず、どのような順番で回っても大丈夫なようになっています。前回は宝田恵比寿神社から反時計回りに巡拝したのですが、今回は時計回りに回ることにしました。
JR神田駅から仕事始めの街を歩き、午前11時30分、宝田恵比寿神社に到着したのですが…
道路を埋め尽くすかのような人の群れ。神社の前には長い行列ができており、交通誘導の人までいました。
実は毎年1月4日、日本橋三越本店が主催する日本橋七福神めぐりが行われており、大変な人気なのだそうです。そういうイベントがあるのは知っていましたが、特に関心がなかったため、1月4日だというのは知らなかったのです。
見れば、参拝者のほとんどが黄色いリボンをつけています。神社の前ではべったら漬の振る舞いまであって、大変な賑わいです。ただ、御朱印拝受(色紙も含めて)目的の人はそれほど多くはなく、あまり待たずに済んだので少しだけホッとしました。
2.椙森神社/恵比寿神
宝田恵比寿神社から椙森神社はすぐ近くです。こちらも境内から人があふれていて、鳥居から20mほどのところが行列の最後尾でした。
七福神めぐりの人のほか、仕事始めで御祈祷に来たビジネスマンも多く、日本橋のオフィス街ならではの風景でした。
こちらの境内では、三越本店の七福神めぐりの人が用紙にスタンプを押していました。それを持参すると、三越本店と山本海苔店で記念品がもらえるのだそうです。
七福神の御朱印のほか、神社の御朱印をいただく人も多いようで、受付の際にどちらの御朱印にするか聞かれました。10年前の参拝時、わざわざ「神社の御朱印もいただけますか?」と聞いたのとは大違いです。
当時、椙森神社の御朱印はけっこう難関で、普段は書置きの七福神の御朱印しかいただけなかったのです。というより、椙森神社の御朱印をいただくついでに、せっかくなら日本橋七福神を巡拝しようと考えたのでした。
3.末廣神社/毘沙門天
街中の小さなお社。こちらも道路に行列ができていました。待ち時間は御朱印拝受を含めて10分余り。
御朱印は、神社脇の車庫に設けられた臨時の授与所で対応していました。その前には飛騨の獅子舞もいて、厄除けのために獅子に噛んでもらう方もいました。
4.笠間稲荷神社/寿老神
油断大敵。
だいたいペースがつかめてきたかと安心して向かった笠間稲荷神社ですが、予想外に長い行列ができていました。お昼時で人が減るかと思っていたのですが、そんな都合のいい話はありませんでした。
待つこと約20分。ようやく御朱印をいただき、まだまだ安心できないと気を引き締めつつ、水天宮へと向かいました。
以下、後半は明日に。
日本橋七福神(前)
日本橋七福神(後)
谷中七福神(前)
谷中七福神(後)
深川七福神
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