善光寺七社の御開帳参拝に合わせ、善光寺七社の一・美和神社に参拝・御朱印を拝受しました。御朱印は本務社の武井神社で対応しています。
美和神社の参拝は平成24年9月に続いて2回目。前回は武井神社の宮司さんが多忙ということで、御朱印をいただくことができませんでした。今回は善光寺で御朱印帳を預け、受け取るまでの時間を利用しての参拝です。
まず武井神社に参拝、社務所で武井神社・健御名方富命彦神別神社(城山県社)・美和神社の御朱印を拝受。続いて彦神別神社を経由して美和神社に向かいました。
美和神社は彦神別神社から北国街道へ出て東へ1km余り。三輪8・9丁目の交差点を右折すると、長野電鉄の本郷駅すぐそばに鎮座しています。周囲は住宅地で、西側には長野市立三輪小学校があり、境内は子供たちのいい遊び場になっているようです。
神社の正面には三輪鳥居が建っています。
境内と参道。陽当たりがよく明るい境内ですが、欅の木が多く、中には結構な巨木もあります。
縁結比之大神。2本の欅の根元に祠があります。その右にあるのは美和神社の由緒が記された文化11年(1814)の碑です。
境内百末社と称する境内北西隅の石祠群。12月16日の越年祭は、ここに祀られる全国一之宮の天神地祇に祝膳を奉納する特殊神事だそうです。
青麻神社。明治の頃、中風除けで名高い仙台市の青麻神社から勧請したとのこと。
拝殿。重厚な建築です。
拝殿に掲げられた算額。
本殿と忠魂碑。
美和神社の御朱印
上述の通り、御朱印は武井神社の社務所でいただきました。
美和神社の御朱印。墨書は「美和神社」。中央の朱印は「縣社美和神社社務所」、戦前の社務所印ではないかと思います。右下は「信州長野」。
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美和神社の概要
美和神社(みわ じんじゃ)
正式名称:美和神社
御祭神:大物主命 相殿/国業比売神、神部神
創建年代:不詳
鎮座地:長野県長野市三輪8-1
社格等:式内社、旧県社
【由緒】
御祭神は大和の大神神社と同じく大物主命で、三輪氏の一族が奉斎したものと考えられています。創建については不詳ですが、六国史の一である『三代実録』に登場し、延喜の制では小社に列しています。相殿に祀られる国業比売神と神部神も『三代実録』にその名が見えます。
『三代実録』貞観8年2月条に、信濃国水内郡の三和(美和)・神部の両神が怒り、兵乱や疫病の災いを起こすと神祇官が奏上したため、国司に勅して講師に潔斎・奉幣させ、金剛般若経千巻と般若心経万巻の転読を行わせて怒りを鎮めたという記事があります。
また、貞観3年2月条には信濃国正六位上国業比売神に従五位下を奉授したことが記されています。
善光寺とも関わりが深く、善光寺七社の一に数えられます。江戸時代には三輪明神と称していましたが、安永年間(1772~81)吉田家に願い出て「美和神社」への改称を許されました。
明治6年(1873)村社に列し、昭和10年(1935)県社に昇格しました。
なお、現在の社殿は寛政5年(1793)に造営されたものです。
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