岡山県倉敷市笹沖1033 [Mapion|googlemap]
足高神社(あしたかじんじゃ)
正式名称:足高神社
通称:帆下げの宮
旧称:葦高宮
御祭神:大山津見命 /配祀:石長比売命 木之花咲耶比売命
創建年代:崇神天皇の御代
例祭:10月第2土・日曜日
社格等:式内社 旧県社
【御由緒】
倉敷駅の南約3km、標高62mの足高山の頂に鎮座します。かつては足高八幡、葦高神社などとも称されました。
足高山は400年ほど前に干拓が行われるまでは海中の島で、小竹島、笹島、戸島、藤戸島、吉備の小島、奥津島などと呼ばれていました。東西を結ぶ航路の要衝でしたが、周囲は潮の流れが激しく、渦潮ができるほどでした。そこでここを通る船は帆を下ろして足高の神に敬意を表し、難を免れたことから「帆下げの宮」と称して崇敬されたと伝えられます。
社伝によれば、創建は第10代崇神天皇の御代とされます。記録上の初見は延喜式神名帳で、備中国十八社の一として小社に列します。
天暦元年(947)村上天皇が藤原兼成を使わして奉幣祈願。同3年(949)霊験があったので社殿を造営しました。寛和元年(985)神宮寺として神遊山遍照院(真言宗御室派別格本山、倉敷市西阿知町)が開創されました。
後二条天皇の乾元元年(1302)「足高八幡大菩薩」の勅額を賜り、花園天皇の延慶元年(1308)には勅額と獅子頭一対が下賜されました。
武将の崇敬も篤く、建徳元年(1370)今川定世は九州探題として赴任する際、航海の安全を祈願して狛犬を奉納しました。また江戸時代には岡山藩の支藩・鴨方藩池田氏の祈願所となり、藩主就任の際には必ず参拝したといいます。
明治6年(1873)郷社に列格し、同12年(1879)県社に昇格しました。
足高神社の御朱印
社務所にていただきました。
上の印は笹竜胆の神紋、下は「足高神社御璽」。
足高神社の参拝記
倉敷駅からバスで約10分、ゆめタウン倉敷前で下車すると、足高神社のある足高山まではすぐになります。山の北側、国道2号線バイパスからも登れるようですが、表参道となる南の麓から登ることにとしました。
一の鳥居。
一の鳥居から70mほど進むと石段があります。左側の神鏡の形をした社号標には「葦高神社」とありました。
さらに坂道を登っていくと、右手に社殿へと続く石段があります。右脇には「帆下宮」の標石。
石段の上には、拝殿前から伸びる廊下というか、参道を覆う屋根が見えます。
その先に拝殿が。
拝殿。
この廊下というのか、屋根付きの参道というのか、足高神社の場合は拝殿前の数メートルですが、吉備津神社や備中国総社にはもっと大規模なものがあります。備中の神社の特色なのでしょうか。
本殿。スタイルのよい入母屋造です。
本殿の周囲には磐座や境内社があります。
一番上の写真は石上神社(左)と金刀比羅神社(右)、二番目は水分神社、三番目は稲荷神社、四番目は顧眄神社で学問の神様とのこと。
磐座。古い時代から祭祀が行われてきたことを感じさせます。
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