開口神社

開口神社

堺市堺区甲斐町東2丁1-29  [Mapion|googlemap]

開口神社

開口神社(あぐちじんじゃ)
正式名称:開口神社
旧称:三村(みつむら)大明神 大寺
御祭神:塩土老翁大神 素盞嗚大神 生国魂大神
創建年代:神功皇后の御代
例祭:9月12日前の土・日曜日・13日
社格等:式内社 旧府社
http://www.aguchi.jp/

【御由緒】
御祭神の塩土老翁神は住吉明神と一体別宮の神とされます。『住吉大社神代記』(天平3年(731)の成立とされる)には「開口水門姫神社」と記され、古くから住吉大社との関わりが深く、住吉奥の院とも称されました。

社伝によれば、神功皇后は三韓征伐からの帰途、石津浜に上陸し、忍熊王の乱を平定するために塩穴松原で天地の神々に戦勝祈願をしました。この時、土地の人々が供物を献じる中で、兄濤という老漁師が赤目魚(鯛)を献上しました。皇后はこれを吉兆と喜び、蟹守葦見別の娘・仲媛に命じ、この地に塩土老翁神を祀らせました。これが開口神社の創祀とされます。

延喜の制では小社に列格。延喜年間(901~23)従五位上を授けられ、承平2年(932)正五位上に進められました。

天永4年(1113)、開口村の当社に原村の素盞嗚神と木戸村の生國魂神を合祀。以来、三つの村の氏神を祀ることから三村(みつむら)大明神・三村宮と称されるようになりました。

神宮寺の密乗山念仏寺は、天平18年(746)聖武天皇の勅願により行基菩薩が密乗山大念仏寺を創建したと伝えられます。大同元年(806)弘法大師が参籠し、宝塔を建立。承安4年(1174)には一切経蔵が建立されました。以来、神仏習合の道場となり、念仏寺の通称であった「大寺(おおでら)」の名で親しまれるようになりました。

三村社/和泉名所図会

三村社 俗に大寺とも云う『和泉名所図会』国会図書館蔵

朝野の崇敬篤く、応永32年(1425)には光範門院(称光天皇の御生母)の祈願所、同34年(1427)には足利義持の祈願所となっています。

また、堺南荘の鎮守とされ、自由都市・堺の自治を担った会合衆は大寺境内の会所(三村宮拝殿・大寺食堂)で話し合いを行いました。天文4年(1535)念仏寺の築地修理には堺の町衆114名が1貫文ずつ寄進していますが、その中には武野紹鴎や千与四郎(利休)の名も見えます。

天正14年(1586)豊臣秀吉は朱印地80石を寄進、徳川幕府もこれに倣いました。慶長20年(1615)大坂夏の陣のため伽藍・社殿等すべて焼失しますが、その後、堺奉行・長谷川藤広が復興に着手、元和3年(1617)梵鐘1口が寄進されました。

明暦元年(1655)4代将軍・徳川家綱により社殿再興、寛文3年(1663)三重塔が再建されました。以後もたびたび幕府により社殿・伽藍の造営・修造が行われています。また、元禄3年(1690)には土佐光起の筆になる『大寺縁起絵巻』が完成しています(重要文化財)。

明治の神仏分離により念仏寺は廃寺となり、開口神社の旧称に復しました。明治6年(1873)郷社に列格、同35年(1902)府社に昇格。

昭和20年(1945)戦災により社殿等灰燼に帰し、三重塔も焼失。同39年(1964)現在の本殿が再建されました。

目次

開口神社の御朱印

開口神社の御朱印

中央上の朱印は三つ茄子の神紋、下は「開口神社」。右上に「泉州堺大寺」とありますが、今も地元では「大寺さん」の通称で親しまれているそうです。

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開口神社の参拝記

堺という地名は摂津国・河内国・和泉国の境に発展した町であることに由来するといいます。町の中央を通る大小路の北が摂津国住吉郡に属する堺北荘(江戸時代の堺町北組)、南が和泉国大鳥郡に属する堺南荘(同じく堺町南組)。開口神社は堺町南組の氏神です。

大小路とフェニックス通りの中間に鎮座しており、大小路をはさんでほぼ対象の位置に堺町北組の氏神・菅原神社があります。また、南に向かうとフェニックス通りの南側に当社と関わりの深い住吉大社の宿院頓宮があります。

開口神社鳥居

開口神社の鳥居。大通りに面した東参道には大きな朱の鳥居、アーケード街側の西参道には石の鳥居が建っています。

開口神社石灯籠

西参道脇の石灯籠。「三村大神宮」「住吉奥院」と彫られていました。

開口神社金龍井

西参道鳥居のそばにある金龍井。元はここにあった海会寺の井戸でしたが、大坂夏の陣の後に海会寺が移転したため、大寺(開口神社)のものとなったといいます。海会寺の開山・乾峰和尚が龍神の託宣によって掘ったという名水です。

開口神社摂末社

境内には数多くの摂末社があります。豊竹稲荷神社(上)と三宝荒神社(中)。白龍神社(下)は歯の神様だそうです。

開口神社薬師社

薬師社。「瑞森瑠璃殿」の額が掲げられています。旧念仏寺の御本尊である薬師如来(伝・行基菩薩作)が祀られています。

開口神社影向石

影向石。開口大神(塩土老翁神)が影向してこの石に腰掛け、その後住吉に向かい、住吉の神になった、あるいは行基菩薩と法談をした場所である、弘法大師と対面されたときの御座所であるなどと伝えられているそうです。

開口神社本殿

本殿。昭和39年(1964)の再建。

開口神社神紋

神紋の三つ茄子。茄子が三つ巴になっているユニークな紋です。社伝によれば、もともと開口神社の神紋は三つ巴でした。白鳳年間、氏子が一つの萼に三つの茄子ができたので、これを吉祥として奉納し、以来、巴を茄子に変えたとされているそうです。

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