比叡山延暦寺 根本中堂

根本中堂入り口

滋賀県大津市坂本本町4220(Mapion/googlemap

比叡山延暦寺根本中堂

比叡山 延暦寺(えんりゃくじ)
正式名称:比叡山 延暦寺
御本尊:薬師如来(根本中堂)
創建年代:延暦7年(788)
開山:伝教大師最澄
宗派等:天台宗総本山

比叡山は古事記に「日枝の山」と記され、大山咋神が坐す神山として古くから崇められてきました。

延暦寺は比叡山上の東塔・西塔・横川の三塔十六谷に点在する約150の堂塔の総称です。三塔にはそれぞれ中堂と呼ばれる本堂があり、東塔の中堂である根本中堂が総本堂となります。

延暦7年(788)伝教大師最澄は比叡山に薬師如来を本尊とする一乗止観院を建立しました。これが後の根本中堂であり、比叡山延暦寺の開創とされます。この時、伝教大師が薬師如来の御宝前に灯した灯明は1200年余りにわたって灯され続け、「不滅の灯明」と呼ばれています。

因みに開創時の年号にちなむ「延暦寺」の寺号を許されるのは最澄入寂後の弘仁14年(824)のことです。

以来、伝教大師の菩薩僧育成という理念のもと、多くの名僧高僧を輩出しました。特に融通念仏宗の良忍上人、浄土宗の法然上人、浄土真宗の親鸞聖人、臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師、日蓮宗の日蓮聖人など各宗の祖師が比叡山で育まれたことから「日本仏教の母山」とも称されます。

織田信長による比叡山焼き討ちのため、根本中堂をはじめとする諸堂は焼失して今いましたが、豊臣秀吉や徳川家康によって復興されました。現在の根本中堂は徳川家光によって再建されたもので、国宝に指定されています。

平成6年(1994)には「古都京都の文化財」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されました。

目次

比叡山延暦寺 根本中堂の御朱印

根本中堂の御朱印は授与所にていただけます。西国三十三所の番外、西国薬師四十九霊場の49番(結願)、東海四十九薬師霊場の特別札所、神仏霊場の150番(結願)となっています。

また、根本中堂の授与所では御詠歌の御朱印と星峯稲荷社の御朱印もいただけます。

比叡山根本中堂の御朱印

根本中堂の御朱印。揮毫は「医王殿」で、薬師如来を祀るお堂であることを表します。中央の朱印は火炎宝珠に薬師如来の種字「ベイ」。右上は「比叡山」、左下は「比叡山根本中堂之印」。

比叡山根本中堂、御詠歌の御朱印

御詠歌の御朱印。「明きらけく後の佛の御世までも光り伝へよ法のともしび」。

中央の宝印は延暦寺の寺紋である菊輪宝。右上の印は「比叡山」、左下は「延暦寺印」。

比叡山延暦寺、星峯稲荷の御朱印

星峯稲荷社の御朱印。上の印は五芒星の中に鎹山(かすがいやま)の紋と梵字のキリーク、「星峯稲荷」。右下の印は神使の狐と「比叡山」、左下は「比叡山星峯稲荷社印」。

鎹山は江戸時代に東叡山寛永寺貫主と日光山輪王寺門跡を兼帯し、多くが天台座主も兼ねた輪王寺宮の紋。

本尊・荼枳尼天の種字は「カン」または「ダ」ですが、この印には「キリーク」が用いられています。調べたところ、荼枳尼天の種字には真言に由来する「キリカク(キリーク+カク)」というのがあって、その省略形として「キリーク」を使うことがあるようです。

東京の飛不動正宝院のサイトでは、荼枳尼天の種字を「キリカク」としています。
http://tobifudo.jp/butuzo/tenbu/dagini.html

古い集印帖を収集・公開されているサイト「昔の集印帖」には昭和5年の星峯稲荷の御朱印が掲載されています。当時は梵字「カク」を用いていたようです。これも「キリカク」の省略形なのでしょうか。
https://sites.google.com/site/shuuincho/home/jinja/shigaken/hoshimineinari

比叡山 (別冊太陽)比叡山 (別冊太陽)

比叡山延暦寺 根本中堂の参拝記

1月の連休を使い、比叡山に参拝しました。4回目の訪問、3回目の参拝、2回目の御朱印拝受。

初めての「訪問」は平成6年、大津出張で仕事を終えた後、同行者と車で比叡山に登ったのですが、ぎりぎり入場時間を過ぎたところで参拝は叶いませんでした。

2回目の訪問、初めての参拝は平成20年、仕事で大津坂本の里坊にご住職を訪ねた後、時間があったのでケーブルカーで比叡山に登りました。当時はほとんど御朱印に関心がなかったため、拝受はしませんでした。

ご住職が無動寺の輪番をしているときにいろいろ神秘体験をしたという話を聞いたので、先に無動谷を参拝。その後、根本中堂を参拝したのですが、その直後にバケツの水をひっくり返したような雨が降り出しました。一隅会館で雨宿りをしていたものの、1時間余りたっても弱くなる気配さえないため やむなく下山することに。ケーブルカーの駅まで歩いただけで、下半身がびしょ濡れになりました。そのままでは厳しかったので、京都でサウナに入ってから東京に帰るという非常に印象に残る参拝でした。

御朱印を拝受したのは平成16年。ちょうどその気になって御朱印を集め始めた頃でした。京都に出張した際、仕事が思ったより早く終わり、現地の方がどこか行きたいところがあればというので、比叡山を希望しました。その時にいただいたのがサイトのトップページの御朱印ですが、時間の関係上、根本中堂だけの参拝となりました。

その後、何度か日吉大社には参拝したのですが、比叡山に登らないまま10年余りが経ちました。

今回の参拝は、今年4月から根本中堂が10年間の改修工事に入るということで、その前に写真に収めておきたいと考えたため。初回の参拝時は一眼レフを使っていた時代で、しかもフィルムが引っ越しのため行方不明、二回目の参拝時はカメラを持参していませんでした。

坂本ケーブル以外の交通機関が冬期で休業のため、大津坂本から登り、東塔のみの参拝ということにしました。

ケーブル坂本駅

ケーブル坂本駅。昭和2年の開業当時そのままの姿で、ケーブル延暦寺駅とともに国の有形登録文化財になっているそうです。

ケーブルカー

ケーブルカー。始発に間に合いました。観光客はまだそれほど多くなく、麓から延暦寺への通勤の人が多いようでした。

ケーブル延暦寺駅からの眺望

ケーブル延暦寺駅から見おろした琵琶湖。中央に琵琶湖大橋が見えます。

延暦寺境内入り口

延暦寺の境内へ。

根本中堂

根本中堂は窪地に建っています。坂の上から下っていく形になるため、回廊に囲まれた根本中堂の姿を見ることができるのですが、あまりにも大きいため、これぐらい離れたところからでなければ全体を収めることができません。

根本中堂入り口

根本中堂の入り口。着いたのは、ちょうど朝礼の時間でした。

参拝前に御朱印帳を預け、後で受け取る形のようです。新しい桜の柄(菊輪宝の寺紋入り)の朱印帳が良い感じだったので、それをいただくことにしました。見本が提示してあり、「医王殿」の御朱印のほか、御詠歌と星峯稲荷社の御朱印があったため、それもお願いしました。

根本中堂の内部は撮影禁止。改修工事の準備のためか、内部にはすでに足場が組まれていました。

根本中堂での主目的は、やはり不滅の法灯。御詠歌の「明きらけく後の佛の御世までも光り伝へよ法のともしび」伝教大師が薬師如来の御宝前で不滅の灯明を灯した時に詠んだ歌とされます。

私の人生にもいろいろ関わる御歌なのですが、それについては機会があれば別に書くかもしれません。

根本中堂の参拝後、星峯稲荷社へ。御朱印をお願いしたとき、「星峯稲荷にも参拝してください」と念押しされました。もちろん私は参拝せずに御朱印はいただかないことを原則にしていますが、まあ、いろいろな方がいらっしゃるのでしょう。

星峯稲荷の鳥居

根本中道の脇に星峯稲荷の鳥居があります。

わざわざ参拝するよう念押しされたぐらいなので、それほど大変なのだろうかと少し心配だったのですが、すぐに到着しました。

星峯稲荷社

星峯稲荷社。御本尊は荼枳尼天で辰狐王菩薩といい、六臂(腕が6本)の姿をしており、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の衆生を救済することを表しているそうです。延暦の頃(782~806、延暦寺創建の頃)、荼枳尼天が白雪の神狐の姿になって星の峯に降り立ち、諸人の罪穢れを祓い、福徳を施しました。以来、公家たちの信仰が篤く、霊験があらたかだそうです。

以上で根本中堂と星峯稲荷の参拝を終了。御朱印帳を受け取り、引き続き東塔の諸堂に参拝、御朱印をいただくことにしました。

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