7月18日(土)羽田空港を含む羽田地区の総鎮守・羽田神社に参拝、祭礼期間限定御朱印帳をいただいてきました。限定300部、夜空を背景に御神輿と飛行機が描かれた夜祭・夜間飛行バージョンです。
羽田神社に初めて参拝、御朱印をいただいたのはちょうど10年前の平成17年。都内の神社の御朱印を集め始めた最初の頃でした。
以来、御朱印にスタンプが追加されたり、オリジナルの御朱印帳が出たりしたときもそうですが、羽田七福いなりを参拝したついでとか、自性院や周辺の寺院で御朱印をいただいたついで、近くに用事で来たついでなど、都内の神社でも比較的参拝の回数が多い神社です。
御朱印目的が多いとはいえ、自宅からの交通の便はあまりよくないところながら、つい近くに行ったときには参拝しようと思うのは、神社の方の意欲的な取組が感じられるからだろうと思います。
そう言えば、真宗大谷派が「朱印をしない理由」というリーフレットで、朱印目的のお参りなら「一度朱印をもらえば、二度とお参りすることはないでしょう」などと書いていました。
限定朱印があれば2度3度と参拝する、というのは冗談としても、2度目を心配する前に、まず来てもらうきっかけが大事だろうと思うわけです。私が羽田神社に何度も参拝するのも御朱印がきっかけだったわけで、御朱印という動機がなければ羽田神社に参拝することはなかった可能性が高いだろうと思います。まあ、それで大谷派や本願寺派もスタンプラリーをすることにしたのでしょうが、上の文章との矛盾は感じないんでしょうかね?
不愉快な話題はさておき。
頒布期間は羽田神社の例大祭期間にあたる7月26日までとのことでしたが、4月に発売された東武鉄道の徳川家康公四百年祭記念の特別御朱印帳を手に入れ損ねた教訓を活かし、早めに行くことにしました。
現地に着いたのは午前10時半頃。受付まで30人余りの行列ができており、受け取りを待っている人も20人近く。9時からの頒布ということだったので、最初の人たちは帰ってしまっているはずです。
まずは参拝を済ませて最後尾へ。受付を済ませた後も参拝者が続き、行列は短くなりません。
今年1月から授与するようになった羽田富士の御朱印もお願いしましたので、そちらへもお参りしました。
羽田富士。山頂には浅間神社がお祀りされています。
御朱印帳を受けとったときには11時半を過ぎていましたが、行列は短くなるどころか長くなったような…
ネット上の情報によれば、最初のほうには転売を目的にしたらしい大量購入者もいたそうです。私が着いた頃には1人1冊の制限をしていましたが、それでも初日でほぼ完売だったようで、神社の方もこれほどの反響があるとは思っていなかったようなことを仰っていました。
羽田神社は御朱印なども積極的に対応しているので、御朱印ブームについてもよく認識されていたはずですが、その想定すらも超えるぐらいのブームになっているということなのでしょう。
転売屋が現れたり、本願寺派や大谷派がスタンプラリーに手を出したりするのももっともなことです。
因みに、羽田神社では来年の祭礼期間も限定御朱印帳を頒布するそうです。
羽田神社の御朱印帳と御朱印
羽田神社の祭礼期間限定御朱印帳、夜祭・夜間飛行柄。
御朱印も祭礼期間の限定仕様でした。中央の朱印は「羽田神社」で、左下のスタンプは飛行機の絵馬に「御祭禮」。
羽田富士の御朱印。羽田富士の図に「奉拝 羽田富士塚」「大田区文化財」。
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羽田神社の概要
羽田神社(はねだ じんじゃ)
正式名称:羽田神社
旧称:牛頭天王社、八雲神社
御祭神:須佐之男命、稲田姫命
創建年代:鎌倉時代
鎮座地:東京都大田区本羽田3-9-12(Mapion/googlemap)
社格等:旧村社
http://www.hanedajinja.com/
【由緒】
羽田空港を含む羽田地域の総鎮守。『新編武蔵風土記』には「当村及猟師町の鎮守なり」とあります。元は隣接する常栄山自性院境内の牛頭天王社でした。
社伝によれば、鎌倉時代、羽田浦の領主であった行方与次郎が牛頭天王を祀ったことを創祀とします。江戸時代には徳川家、島津家、藤堂家などの崇敬を受けました。
明治元年(1878)神仏分離により、自性院から独立して八雲神社と称するようになりました。同40年(1907)羽田神社と改称。
現在の社殿は昭和63年に改築されたもの。また、境内には明治初年に造られた「羽田富士」があり、大田区の文化財に指定されています。
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