新宮熊野神社

福島県喜多方市慶徳町新宮2258(Mapiongooglemap

新宮熊野神社

国の重要文化財に指定されている「長床」で有名な福島県喜多方市の新宮熊野神社。のどかな環境、歴史を感じさせる豪壮な長床、見事な御神木の大銀杏、そして最後に待っていたショウゲキの事態。

参拝は平成24年8月。朝から喜多方市内の出雲神社と北宮諏方神社を参拝した後、新宮熊野神社へ行くバスに乗ろうと喜多方駅に戻りました。しかし、バスの出発まで30分以上ある上、現地での滞在時間が20分しかないことがわかりました。

御朱印拝受も含めて20分ではあまりに慌ただしいですが、行きはタクシー、帰りはバスを使うことにすれば滞在時間が約1時間。それならゆっくり参拝できるだろうということで、タクシーに乗り込みました。

運転手は話好きな若い男性で、話が面白いので神社までの道のりもあっという間に過ぎました。「ここに電話してもらえば、迎えに着ますから」とタクシー会社の名刺を差し出すので、帰りはバスと決めていたものの、わざわざ断って気まずくする必要もないので、「そうですか」と少々心苦しく思いながらも表面は快く受け取りました。

タクシーが止まったのは鳥居脇の駐車場。売店とバス停があったので、まずはバスの時間を確認しました。

新宮熊野神社鳥居

一の鳥居。木造の明神鳥居で、大きさはそれほどではないものの端正な形をしています。

新宮熊野神社文殊堂

文殊堂。県の文化財に指定されている文殊菩薩像が祀られていました。現在は宝物館に遷されています。

新宮熊野神社鐘楼

鐘楼。銅鐘は県指定文化財。神仏習合時代の名残が濃厚に残っています。

新宮熊野神社大銀杏

御神木の大銀杏。喜多方市指定の天然記念物。高さ約30m、根本周り8.1m、目通りの太さ7.8m。樹齢800年といわれ、主幹が折れる前は会津若松市内からも見えたと言われているとのこと。晩秋には落葉で、長床の周囲は黄色いじゅうたんを敷き詰めたようになるそうです。

新宮熊野神社長床

国の重要文化財に指定されている長床。新宮熊野神社の拝殿で、平安時代末から鎌倉時代の初期に建てられたと考えられています。9間×4間の茅葺寄棟造。慶長16年(1611)の大地震で倒壊し、同19年(1614)に再建されましたが、旧材を再使用したためサイズが小さくなり、造りも変わったりしていたそうです。昭和46年から49年(1971~74)にかけての解体修理の際、できるかぎり本来の姿に復元されました。

新宮熊野神社長床内部

長床の内部。

新宮熊野神社本殿

本殿。中央が新宮殿(新宮証誠殿)、左が那智殿(那智山飛瀧権現)、右が本宮殿(本宮十二社権現)。福島県の重要文化財に指定されています。

時間に余裕があったので、心ゆくまで境内を堪能、宝物館も拝観し、御朱印もいただいて、気持ちよく参拝を終えました。で、そろそろバスが来るころだと思ってバス停に移動したのですが…

予定の時間になってもバスが来ません。到着時間を過ぎ、20分経って出発時間が来ても、一向にバスの来る気配がありません。バス停の時刻表を確認しても、時間に間違いはありません。さらに10分余り待っても来ないので、バス会社に電話したところ…

喜多方駅から乗る客がいなかったので、運行は休止になったとのこと ∑( ̄Д ̄;)

思わず普段使うことのない顔文字を使ってしまうぐらいの衝撃でした。というか笑撃。

といっても、まさかバスに来てくださいと言うわけにもいかず、「そうですか…」と言って電話を終了。使う予定のなかったタクシー会社の電話番号に電話して迎えに来てもらい、当初からの予定のような顔をしてタクシーに乗りましたよ。

帰り道も運転手さんの話で楽しかったです。バスが来なかったことは話題にしませんでしたけど。

当初の予定では、バスで駅に着くと、すぐに会津若松行の電車に乗るはずだったのですが、30分近く遅れたために次の電車まで空いた時間ができ、その上お昼が近くなっていましたので、駅前で喜多方ラーメンを食べました。それはそれでよかったということで……。

目次

新宮熊野神社の御朱印

新宮熊野神社の御朱印

新宮熊野神社の御朱印。朱印は「熊野宮」。「長床」の文字が入ります。

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新宮熊野神社の概要

新宮熊野神社(しんぐう くまの じんじゃ)
正式名称:熊野神社
御祭神:家津御子神、熊野速玉大神、熊野夫須美大神
創建年代:天喜3年(1055)
鎮座地:福島県喜多方市慶徳町新宮2258
社格等:旧県社

【御由緒】
社伝によれば、前九年の役で奥州に向かった源頼義・義家父子が、天喜3年(1055)戦勝を祈願して河沼郡熊野堂村(現・会津若松市河東町熊野堂)に紀州の熊野三山(本宮・新宮・那智)を勧請したのが起源とされます。

応徳2年(1085、一説には寛治3年/1089)後三年の役で再び奥州に下った義家は、熊野堂に祀られていた三社のうち、岩沢村(現・喜多方市上三宮町吉川)に本宮、宇津野村(現・喜多方市熱塩加納町山田)に那智、小松村と呼ばれていた当地に新宮を遷し祀ったといい、この時、小松村は新宮村に改められたと伝えられます。その後、本宮・那智も当地に合祀されました。

以来、社運は隆盛し、最盛期には300余の衆徒、100余の神職を擁し、奥州の熊野と称されたといいます。

文治5年(1189)佐原義連によって(社頭掲示による。『日本歴史地名大系』によれば治承・寿永の乱の時、越後の城四郎長茂や磐梯山麓の恵日寺など平家側の勢力によって)社領を横領されましたが、建久3年(1192)源頼朝によって社領200石を回復し、文殊菩薩像を寄進されました。

中世には新宮庄の総鎮守となり、領主の新宮氏や葦名氏の崇敬を受けて繁栄しましたが、戦乱と慶長16年(1611)の大地震のために多くの建物が倒壊しました。同19年(1614)、拝殿(長床)などは再建されましたが、往時の隆盛を取り戻すことはできませんでした。

江戸時代、会津藩主となった保科正之は当社を祈願所とし、以後、歴代藩主の保護を受けました。別当は真言宗の新宮寺、また奥の院の神宮寺がありましたが、両寺とも明治の神仏分離で廃寺となりました。

文化財が多く、長床と銅鉢が国の重要文化財。本殿、文殊菩薩像、御神像、鰐口、銅鐘、牛王宝印版木・宝珠、大般若経・経櫃が県の文化財、御神木の大銀杏が市の天然記念物、如意輪観音像・薬師如来像・虚空蔵菩薩像・経筒が市の文化財に指定されています。

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