御朱印の起源再考--なぜ納経の証明が必要だったのか?

御朱印は日本独自の文化で、世界的に見ても御朱印に類するものはないようです。

そして、御朱印の起源は六十六部廻国聖(六十六部)の納経請取状にあります。江戸時代に納経帳の形を取るようになり、それが西国や四国の巡礼者にも広がったのが現代の御朱印につながっています。

東大寺の納経

享保12年(1727)東大寺
六十六部の納経帳

今でも御朱印の起源について「諸説ある」というような記述を見かけます。しかし六十六部の納経請取状から江戸時代の納経帳、大正・昭和戦前の集印帖を経て現代の御朱印に至る経過が現物として残っており、議論の余地はありません。そもそも六十六部の研究においては、納経帳が六十六部に由来するのは当然のこととして扱われています。

では、なぜ日本にもさまざまな巡礼があり、また写経の奉納も古くから一般的に行われてきたにも関わらず、六十六部廻国巡礼においてのみ納経請取状あるいは納経帳というものが登場したのでしょうか。

今回は納経帳(納経請取状)を必要とした六十六部ならではの理由について考えて見たいと思います。

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納経(あるいは参拝)の証に必要性はあるのか?

御朱印は参拝の証しであり、納経(納経印)は納経(写経の奉納)の証しとされます。しかし、信仰的に考えた場合、参拝や納経に証明が必要なのだろうかという疑問が起こります。

参拝であれ写経の奉納であれ、あるいはその他のことであれ、宗教的な功徳を積んだことについて、その証明書をもらっても意味があるとは考えられません。神仏相手なのですから、実際に行ったのであれば証明など必要ないでしょうし、行っていないのなら証明があったところで無駄でしょう。

廻国供養塔

六十六部廻国供養塔
轡神社(板橋区)

つまり、信仰的な側面から考えると、納経(あるいは参拝)の証明書に意味があるとは考えられないのです。海外に御朱印(あるいは納経帳)に類するものがなく、日本でも四国や西国といった他の巡礼からは出現しなかったのはそのためでしょう。

また、現代においても御朱印について明確な意義づけがなされておらず、ややもすると程度の低いもの、スタンプラリーといった扱いになる原因の一つであろうと思います。

その一方で、六十六部廻国巡礼においては、登場間もない鎌倉時代初期には納経請取状が発給されていたことがわかっています。これは六十六部には納経の証明を必要とする事情があったことを示しているといえるでしょう。

納経の証明を必要とした理由

六十六部が納経の証明を必要としたのは、願主(施主=スポンサー)に対して実際に巡拝・納経したことを証明するためと考えられます。

日本の巡礼の中でももっとも大規模な六十六部廻国巡礼は、他の巡礼に比べて必要な費用も桁違いに多かったでしょう。行程の長さももちろんですが、法華経を六十六部も写経し、さらにそれを納める経筒(多くは青銅製)を準備しなければなりません。納経の際には納経料も納めたはずです。準備だけでもかなりな経費が必要になります。

六十六部

六十六部廻国聖
『日本風俗図絵』国立国会図書館蔵

そのため、願主自ら行者として廻国巡礼する例もありますが、大半は六十六部聖が願主(施主=スポンサー)の依頼を受け、願主の代理として故人の供養や一家の繁栄という願意のために巡礼を行い納経するという形を取っていました。

神仏と行者の間に証明は必要ないとしても、施主(スポンサー)に対してきちんと巡拝してきたという証明は必要です。これが六十六部と他の巡礼の決定的な違いであり、六十六部においてのみ納経の証明が必要であった理由でしょう。

つまり、六十六部廻国巡礼ならではの特殊な事情があったために、世界でも珍しい御朱印という文化が誕生することになったと考えられるわけです。

納経帳の出現による意味の変化

ただし納経の証明書である納経請取状は、現代の御朱印の起源となるものとはいえ、そこには質的に大きな違いがあります。御朱印の直接的な起源は納経帳の出現を待たなければなりません。

江戸時代に入り、六十六部は納経帳を携行するようになります。これに伴い、文面も受取の証明から本尊名や寺社名を書く形式に変わっていきます。いわば参拝した神仏の署名簿のような形になったわけです。

これを見た西国や四国の巡礼者が御本尊の分身のようなものと認識し、ありがたいものとして自分たちも携行するようになります。それが広く普及して、現代の御朱印につながるわけです。

もし元々の納経請取状のままであれば、六十六部の枠を越えて広がったとは考えられません。なぜなら既に述べたように、単なる参拝や納経の証明であれば信仰的には意味がありません。いわば御札や御守りに準ずるものだからこそ、いただくことに意味が生じるわけです。

また、納経帳が一般に広がった時代には、すでに六十六部にも納経の実体はなく、納札を納めるようになっていました。納経帳に納経の証明という実質はなく慣習的に「奉納経」と書くだけになっていた、あるいは逆に、納経帳に記帳押印することで写経を奉納するのと同等の功徳をいただくことができるとされるようになっていたと考えられます。

つまり、納経請取状の時代にはどちらかというと事務的な証明書であったものが、納経帳になると次第に宗教的な意味を持つようになったのでしょう。その質的な変化を促したのが納経請取状から納経帳へという形式の変化だったわけです。

そういう意味では、御朱印は単なる納経や参拝の証しではなく、御札や御守りに準ずるものとするのが歴史的にも正しいのではないでしょうか。

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