最後に、なぜ「御朱印」という言葉が使われるようになったかを考えてみたいと思います。
「御朱印」という言葉が定着する以前、寺社でいただく印に決まった名称がなかったということは、『神社山陵参拝記』に「印顆」「御印」「社印」など複数の用語が用いられていることから明らかです。当然、ほかの呼び方もあったと思いますが、なぜ「朱印」「御朱印」が使われるようになったのでしょうか。
まず考えられるのは、「集印(しゅういん)」と音が似ているということです。「集印帖」から「朱印帖」が派生し、「朱印帖」に押す印ということで、寺社の印を「朱印」と呼ぶようになったのではないかと思います。
大正時代の半ばに折り本式の集印帖が登場して以降、「集印」「集印帖」という呼び方が定着していたのは明らかです。
昔の人は、同音もしくは似た音で、かつ意味が通じていれば、結構当て字を使います。「近所」を「近処」とも書くようなもので、「集印」と「蒐印」も同様の関係になります。当時の集印帖のタイトルを見れば、「集印帖」「蒐印帖」「集印帳」「蒐印帳」といった表記の揺れが見られます。そういう揺れの一つとして、寺社の朱印を集めるという意味になる「朱印帳」が使われたという可能性は十分あり得るでしょう。
しかも、「集印」「蒐印」では印を蒐集するという行為を表すのに対し、「朱印」は印そのものを表します。寺社の印そのものを示す言葉として、非常に使い勝手がよいわけです。
次に、神社にも寺院にも偏らないということが指摘できます。例えば、先にあげた『神社山陵参拝記』に「社印」という言葉がありましたが、これは神社にしか使えません。一方、宝印という言葉がありますが、これは仏教色が強いといえるでしょう。それに対して「朱印」という言葉には寺社どちらに使っても違和感がありません。
もう一点指摘しておきたいのは、「御朱印」という言葉がもともと権威を帯びた言葉だということです。
江戸時代に「御朱印」といえば、幕府が公文書に押す印、または御朱印を押した公文書(朱印状)のことでした。つまり、特別な権威を有する言葉だったわけで、一般の記念スタンプと差別化するのにふさわしい言葉と感じられたのではないでしょうか。
※なお、御朱印という言葉が定着したのは昭和になってからと考えてはいますが、便宜上、このブログではそれ以前のものについても御朱印と呼びます。
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