箕曲中松原神社 山田産土神八社

三重県伊勢市岩渕1-14-25 [Mapion|googlemap]

箕曲中松原神社

箕曲中松原神社(みのなかまつばらじんじゃ)
正式名称:箕曲中松原神社
旧称:大歳社、中松原社、美野社、箕曲社
御祭神:大歳神/配祀:若雷神、大山祇神、山神、山神、地護神、相之神、箕曲大神/合祀:蛭子神、建日丹方神、建御名方神、春日大神、伊都岐島神、倭姫命、菅原道真、菅原道真、柏木大神、小田大神、鏡大神、宇迦之御魂神、祭神不詳
創建年代:不詳
例祭:8月21日
社格等:旧県社

【御由緒】
外宮の門前町である山田の産土神八社の一。

古くは大歳社、中松原社、美野社などと称していましたが、後に箕曲中松原神社と称するようになりました。天和年間(1681~84)の参宮案内記には外宮末社85社の内の美野社・美野中松原社として記載されています。

創建年代は不詳。元応2年(1320)外宮の禰宜であった度会家行が選録した『類聚神祇本源』豊受大神宮所管神社の条に「中松原御社」とあり、また長徳3年(997)外宮田社三十三所中の柏木社(現在は箕曲中松原神社に合祀)の註に「柏木社在大歳社中松原」とあることから、千年以上前から中松原にあって大歳神を祀っていたと考えられています。

古くから美乃乃村(後の岩渕町箕曲)の住人は神宮御饌料の柏を供進する慣例があり、神宮の御饌に関わりのある社でした。

明治4年(1871)郷社に列格、同8年(1875)県社に昇格。

明治42年(1909)3月、倭町の村社・神落萱神社、無格社・金刀比羅社、稲荷社、三輪社、尾上社、尾上町の無格社・菅原社、岩渕町の無格社・柏木社、尾上社、菅原社、松木皂樹稲荷社、子安稲荷社、宮本村勢田(勢田町)の無格社・稲荷社二社、山神社と境内社の稲荷社を合祀。

同年4月、岡本町の無格社・五日市蛭子社、茶臼石稲荷社、小田社と境内社の稲荷社、高神社客神社、蓬莱稲荷社、稲荷社を合祀。

明治43年(1910)6月、桜木町の無格社・御岩神社と境内社の春日神社・浅間神社、無格社・御蔭社、中稲荷社、小岩社、古市町の村社・長峯社、無格社・浅間社、小松稲荷社、久世戸町の無格社・菅原神社を合祀。

明治44年(1911)5月には、箕曲中松原神社の境内社・五社(若雷社・地護社・大山祇社・相社・山神社)と箕曲社を本社に合祀しました。

ただし、その後、古市町の長峯社と倭町の神落萱神社・金刀比羅社は旧地に分祀しています。

箕曲中松原神社の御朱印

御朱印は社務所にていただきました。

箕曲中松原神社の御朱印

朱印は「箕曲中松原神社」。

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箕曲中松原神社の参拝記

箕曲中松原神社は近鉄・宇治山田駅のそばにあり、初めて伊勢神宮を参拝した時から、参宮のたびにお参りしているのですが、一度も社務所に人がいるのを見たことがありませんでした。

しかし、山田産土神八社の中でも唯一の県社ですし、御朱印があるのも確実のようなので、例祭に合わせて参拝することにしました。とはいえ、諸事情により実際の参拝は例祭前日の8月20日、準備等で宮司さんがいらっしゃるだろうと推測してのことです。

神社に到着したのは8時30分。早めの時間ですが、この日は宇治山田駅でレンタサイクルを借りる予定だったため、その前に様子を見ようと考えたわけです。

鳥居

鳥居には町内会による「箕曲中松原神社祭礼」の看板が掛かっていました。

祭礼準備風景

境内に入ると、氏子さんたちが祭礼の準備中。例祭前日は子ども神輿を出すそうで、その準備のために集まっているとのことでした。

子ども神輿

子ども神輿とピカチュウの山車(?)。

大幟

境内には氏子町内から奉納された幟が立っていました。

氏子さんに宮司さんがいつ頃いらっしゃるかうかがったところ、9時過ぎから子ども神輿のお祓いがあるので、それまでにはいらっしゃるだろうとのこと。そこで、先にレンタサイクルを借りておくことにしました。

祭典

9時過ぎ、再び神社に戻ってくると、ちょうど宮司さんが社務所にいらっしゃいました。一応、声を掛けると、祭典が終わるまで待ってほしいとのこと。もちろん、神事の邪魔をするつもりはないので、氏子の方の後ろで参列することにしました。

お祓い

宮司さんによるお祓い。

拝殿

祭典の後、無事に御朱印を拝受。子ども神輿が出発し、静かになった社殿で再度参拝しました。

拝殿内部

拝殿内部。普段は閉ざされている中門が開かれています。

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