京都市下京区寺町通四条下ル貞安則之町622(Mapion/googlemap)
京都大神宮(きょうと だいじんぐう)
正式名称:京都大神宮
旧称:神宮教京都教会所、神宮奉斎会京都地方本部
御祭神:天照皇大神、豊受大神/相殿:伊弉諾尊、伊弉冊尊、八柱大神(神皇産霊神、高皇産霊神、魂留産霊、生産霊、足産霊、大宮売神、御膳神、事代主神)、大地主神、倭比売命、崇敬者の祖霊
御創建:明治6年(1873)
例祭:10月17日
社格等:旧神宮奉斎会地方本部
http://kyotodaijingu.jp/
【御由緒】
明治の初め、従来の伊勢講(太々講)を基盤として神宮教会(のちの神宮教)が設立され、傘下の講社は神風講社と名付けられました。京都大神宮は、この時設立された京都教会所を起源とします。
明治6年(1873)伊勢神宮より天照皇大神、豊受大神の御分霊を迎え、伊弉諾尊・伊弉冊尊、八柱大神、大地主神、倭比売命を配祀しました。同8年(1875)に社殿を、同14年(1882)に神宮遥拝所を建立。八柱大神は古くから宮中神祇官の八神殿に祀られていた天皇守護の神々です。同32年(1899)神宮教が解散して神宮奉斎会が設立されると、京都地方本部となりました。
昭和21年(1946)神宮奉斎会が解散、皇典講究所・大日本神祇会とともに神社本庁を設立したことに伴い、京都大神宮と改称、独立した神社となりました。
京都大神宮の御朱印
朱印は「京都大神宮」、墨書は「奉拝」と参拝日のみ。
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京都大神宮の参拝記
過去に拝受していながら、サイトにはアップしていない御朱印が結構な数になりました。そういった御朱印を少しずつアップしていきたいと思います。
まずは京都大神宮。参拝は平成21年。
昨年8月、友人から五山の送り火に招待されまして、同席した京都の方たちと話す機会がありました。神社の話題になって、東京大神宮が縁結びで女性に人気だというような話が出たので、由緒からいえば京都大神宮も同じだから、京都大神宮にお参りしないのはもったいないと言ったところ、その場にいた人は誰も京都大神宮を知りませんでした。京都の方でも、あまり京都大神宮のことは知らないようです。
京都大神宮は戦前の神宮奉斎会京都地方本部を前身とします。因みに東京大神宮は神宮奉斎会の本院でした。
東京大神宮が縁結びの御神徳で人気を集めているのは、神前結婚式の創始とかかわっています。明治33年(1900)宮中三殿で明宮嘉仁親王(大正天皇)と九條節子姫(貞明皇后)の御婚礼が行われ、国民の間で神前結婚式の要望が高まりました。これを受けて、神宮奉斎会国礼修行部が神前結婚の儀礼を創設し、翌34年(1901)本院(東京大神宮、当時は日比谷にあり、日比谷大神宮と呼ばれていた)で模擬結婚式が行われたことに由来します。
京都大神宮のサイトによれば、この時、東京大神宮と京都大神宮で祭式を吟味、完成させたとのことです。京都大神宮では、当時のままの神前結婚式を見ることができるそうです。
鎮座地は四条通から寺町通を100mほど南に入ったところ。道路の東側に鳥居があり、社殿は西面しています。こぢんまりとした境内は閑散としていましたが、御朱印拝受が目的らしい女性が一人お参りしていました。
社殿というより参集所の玄関といった印象の京都大神宮社殿。それもそのはずで、一條家の玄関と書院を移築したものだそうです。一條家といえば、五摂家の一つ、昭憲皇太后の御実家です。唐破風の優美さは日本でも有数とされているそうです。
本殿脇には傘下の神風講社の額が掲げられています。ほとんどが100番代ですが、中に第壱千百四十七番というのがありました。全国での通算でしょうが、大変な数です。一時は京都大神宮の傘下でも101の講社があったそうです。
本殿南側にある祠は、伊勢神宮の遥拝所として建立されたもので、戦時中は御神体安全のために用いられたとのこと。現在は御神体は入っていないとのことです。
手水舎の水盤は伏見城にあったものを移設したものだそうですが、写真を撮り忘れていました。
新京極や四条河原町からすぐ近くでありながら、静かで落ち着いた雰囲気の神社です。
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