京都市東山区清水1-317(Mapion/googlemap)
地主神社(じしゅ じんじゃ)
正式名称:地主神社
旧称:地主権現堂
御祭神:大国主命、素戔嗚尊、奇稲田姫命、足摩乳命、手摩乳命/相殿:大田大神、乙羽龍神、思兼大神
創建年代:不詳
鎮座地:京都市中京区清水1-317
社格等:旧郷社
http://www.jishujinja.or.jp/
【由緒】
音羽山清水寺の鎮守であり、門前町の氏神でもあります。古くは地主権現と称しました。
創建については不詳。清水寺創建の頃という説もありますが、社伝では神代のこととします。近年、アメリカの原子物理学者・ボースト博士の研究により、本殿前の「恋占いの石」が縄文時代の遺物であることが証明されたといいます。
御祭神は大国主命ですが、一説には坂上田村麻呂を祀るともいわれます。
歴代天皇や武将、文化人の崇敬篤く、参詣もたびたびでした。
弘仁2年(811)嵯峨天皇が行幸されました。この時、名花として名高い地主桜の美しさに三度車を引き返して桜を眺めたことから「御車返しの桜」の名の由来になりました。
天禄元年(970)円融天皇が行幸し、勅により臨時祭が執り行われました。永保2年(1082)には白河天皇が一七日の参籠をされました。
天正9年(1581)豊臣秀吉が花見の宴を開催。寛永10年(1633)徳川家光が現在の社殿を再建しています。
明治の神仏分離により清水寺から独立、明治2年(1869)明神号を賜り、その後、現社名に改めました。
昭和41年(1966)本殿・拝殿・総門が国の重要文化財に指定。さらに平成5年(1993)境内全域が重要文化財となりました。翌6年(1994)世界遺産に登録されました。
地主神社の御朱印
御朱印は授与所にて。以前は対応していませんでしたが、近年、授与するようになりました。
地主神社の御朱印。上の印は「縁」。下は打出の小槌に「参拝記念 主神大国主命 京都 地主神社」。墨書は中央が御祭神名で「大国主命」、左に「えんむすび乃神」「地主神社」。
清水寺に入らなければ参拝できない、しかも本堂裏で素通りされやすいという不利な立地を逆手に取り、海外から来る観光客まで誘導する演出と情報発信力に感服しました。
地主神社の参拝記
京都在住の畏友・導師飼主と、今一番元気な神社といわれる京都地主神社に参拝しました。
地主神社は、その名の通り清水寺の鎮守・地主神で、清水の舞台で有名な清水寺本堂の傍らに鎮座しています。江戸時代までは地主権現堂と称していましたが、明治の神仏分離で独立した神社となり地主明神社、さらに現社名に改称しました。
近年、御祭神の大国主命に因んで「縁結び」を前面に出し、日本国内はもちろん、海外からの参拝者も訪れる人気スポットになっています。
地主神社に参拝するためには、拝観料を払って清水寺の境内に入らなければなりません。
本堂の裏に回ると、地主神社への石段と鳥居があります。派手といえば派手ですが、これぐらい目立たせないとほとんどの人が通り過ぎてしまうようなロケーションです。
狭い境内には人がいっぱいでした。御利益のデパートとでもいうべき賑やかな演出がされているのですが、豪壮華麗な社殿と不思議に調和して嫌味な感じはしません。
良縁大黒(上)と手水舎(下)。柄杓には「恋」「良縁」「勝」「合格」などと書かれており、希望するご利益の柄杓を使って手水を使うという演出です。
撫で大黒(上)と栗光稲荷(下)。撫で大黒は、撫でる個所によってさまざまなご利益がいただけるそうです。
恋占い石。本殿前にある一対の石で、目を閉じたまま一方の石からもう一方の石にたどり着けば恋がかなうそうです。人の手を借りた場合は、人のアドバイスを受けて成就するとか。
拝殿。清水寺から見れば拝殿の位置ですが、現在の境内では本殿に向かい合う形になっています。授与所として使われている感じです。天井には狩野元信による「八方にらみの龍」が描かれています。
本殿。一ヶ年祈願の御札が並んでいました。外国人の方も御祈願を頼んでいるようで、祈願成就のお礼の名前には日本人はもちろん、アジアや欧米の人の名前もありました。
授与所にはいろいろなお守りがありましたが、中でも一番印象に残ったのはこれ。キューピット(クピド)って、古代ローマの神様ですが…。
コメント