春日神社(徳島)

春日神社拝殿

徳島県徳島市眉山町大滝山1(Mapiongooglemap

春日神社

春日神社(かすが じんじゃ)
正式名称:春日神社
御祭神:武甕槌命、斎主命、天児屋根命、比売神
創建年代:不詳/天正14年(1586)遷座
鎮座地:徳島県徳島市眉山町大滝山1
社格等:旧県社

【御由緒】
奈良・春日大社の社領であった富田庄の鎮守として勧請された春日祠を起源とし、元の鎮座地は名東郡田宮村(現在の徳島市春日のあたり)であったと伝えられます。また一説には名西郡入田村(現在の徳島市入田町)にあったともいいます。

天正14年(1586)蜂須賀家政が徳島の城下町を建設した際、眉山東麓の現社地に遷座して徳島城下の総鎮守としました。この時、田宮村の勝福寺も同所に移転し、春日寺と改称して別当寺となりました。

以来、藩主・蜂須賀氏や藩民の崇敬篤く、9月17日の例祭は藩主も上覧するなど阿波国第一の祭礼と評されたといいます(現在は10月17日)。また、名方郡(徳島市・名東郡・名西郡)の著名な十二社を巡拝する名方郡十二社詣りの市中五社の一つにも数えられました。

明治の神仏分離により春日寺は廃寺となりました。明治6年(1873)県社に列格。

昭和20年(1945)空襲により社殿等焼失。同26年(1951)本殿、同34年(1959)拝殿が再建されました。

境内には式内論社の天石門別豊玉賣売神社が祀られています。元は徳島城内に鎮座していて龍王宮と呼ばれていましたが、国瑞彦神社・忌部神社を経て、徳島城鎮護の社である春日神社に遷座したものです。

名方郡十二社詣り
御七社:宅宮神社・国中神社・一宮神社・天石門別八倉比売神社・白鳥神社・大御和神社・井上八幡宮
市中五社:諏訪神社・春日神社・四所神社・富田八幡神社・金刀比羅神社

目次

春日神社の御朱印

御朱印は隣接する春日会館でいただきました。例大祭で宮司さんが不在だったため、留守番の方が対応してくださいました。

春日神社の御朱印

春日神社の御朱印。上の印は下がり藤の神紋、下の印は「春日神社」。

天石門別豊玉賣売神社のことが知りたくて後日電話したのですが、上記の内容などいろいろ話してくださいました。気さくで神社の活動にも意欲的な様子が伝わってきました。

殿さま狸殿さま狸

春日神社の参拝記

徳島市のシンボル・眉山の麓に鎮座する春日神社は、初代徳島藩主・蜂須賀家政によって現社地に遷座し、徳島城下の総鎮守として崇敬されてきました。名方郡十二社詣りのうち、市中五社の一に数えられます。

参拝は平成23年10月17日、春日神社の例祭の日でした。

徳島駅から徒歩10分ほど、各宗派の寺院が並ぶ寺町の奥まった一角に鎮座しています。例祭ということで幟が立ち、参道には提灯が吊り下げられていました。とはいえ、神輿がすでに出御していたからでしょうか、参拝者もなく(奉仕の方のものか、自転車はたくさんありました)もしかすると普段以上に静かだったかもしれません。

春日神社手水舎

手水舎。

春日神社境内社

境内社の若宮社(御祭神・天忍雲根命)と秋葉社(御祭神・大己貴命)。

春日神社御倉稲荷社

御倉稲荷社。徳島裁判所内に鎮座していたものを平成21年に遷したもののようです。

春日神社地神社

地神社。御祭神は天照皇大神、埴安媛命、倉稲魂命、大己貴命、少彦名命。

春日神社、天石門別豊玉賣売神社

天石門別豊玉賣売神社。延喜式神名帳所載の天石門別豊玉賣売神社の論社で、かつては徳島城内にあって龍王宮と呼ばれていました。

この日は例祭で宮司さんがいなかったため、後日、電話で天石門別豊玉賣売神社について伺ったところ、元は徳島城内に祀られていましたが、徳島市から政教分離のため移転するよう指導があり(政教分離も何も、神社のほうが元からあったはずですが…。おかしな話です)、当時の富田八幡神社の宮司さんが兼務していた国瑞彦神社(徳島藩歴代藩主を祀る)に遷座したそうです。その後、忌部神社境内に遷されていましたが、春日神社に現在の宮司さんが着任された際、もともと徳島城内で祀られていたものなので、徳島城鎮護の春日神社でお祀りしたいと申し入れ、遷座することになったとのこと。本来は徳島城内で祀るのが望ましいが現実的に難しいし、元の敷地も狭いため、それなら春日神社でのほうが丁重にお祀りできるだろうとのことでした。

春日神社拝殿

拝殿。

春日神社本殿

本殿。春日造のようです。

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