山形県米沢市丸の内一丁目4-13(Mapion/googlemap)
上杉神社(うえすぎ じんじゃ)
正式名称:上杉神社
御祭神:上杉謙信公
創建年代:明治4年(1871)
例祭:4月29日
社格等:旧別格官幣社
【御由緒】
上杉謙信は春日山城で急逝した後、遺骸は城内の不識庵に安置されました。その後、謙信の跡を継いだ上杉景勝の転封に伴い、会津若松を経て慶長6年(1601)米沢に移されました。
慶長17年(1612)米沢城本丸南東に御堂(霊廟)が完成、中央に謙信の遺骸、右に善光寺如来、左に泥足毘沙門天が奉安されました。以来、幕末まで二の丸にあった法音寺をはじめとする能化衆11ヶ寺、御堂衆9ヶ寺、御堂を管理する霊仙寺など真言宗寺院21ヶ寺が奉仕しました。
明治になると、御堂での祭祀は神式に改められ、法音寺は上杉家廟所前に移転しました。明治4年(1871)米沢藩中興の名君・上杉治憲(鷹山)を合祀、翌5年(1872)上杉神社と称し、県社に列格しました。同9年(1876)本丸中央に社殿を造営、遷座するとともに、謙信の遺骸は上杉家廟所に移されました。
明治35年(1902)別格官幣社に昇格。この時、上杉鷹山は新たに創建された摂社・松岬神社に祀られることとなりました。
大正8年(1919)米沢の大火により本殿以下類焼。同12年(1923)伊東忠太の設計による現社殿が再建されました。
上杉神社の御朱印
御朱印は社務所にていただきました。
上杉神社の御朱印。中央の朱印は「上杉神社」。右上に竹に雀の神紋(上杉氏の家紋)。
なお、上杉神社では摂社で旧県社の松岬神社の御朱印もいただくことができます。
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上杉神社の参拝記
上杉謙信を祀る上杉神社は、謙信とは直接の関係がない山形県米沢市にあります。上杉氏が会津若松を経て米沢藩主となったためです。
謙信の遺骸も米沢に移され、城内本丸の御堂(みどう)に奉安し、仏式で祭祀が営まれました。これを明治になって神式に改めたのが上杉神社の起こりです。生前の謙信が本拠地とした春日山に鎮座する春日山神社は、明治34年(1901)上杉神社から御分霊を勧請して創建されました。
参拝は平成23年6月。JR東日本が東日本大震災の復興支援のために発売した「JR東日本パス」を利用しました。米沢駅は市街地(旧城下町)からかなり離れているため、旧城下町内での移動も考慮し、レンタサイクルを利用することにしました。
上杉神社が鎮座している米沢城本丸跡の入口。「毘」と「龍」の旗が掲げられています。
上杉謙信祠堂(御堂)跡。本丸南東隅になります。
御堂の中央には上杉謙信の遺骸、右に善光寺如来、左に泥足毘沙門天が祀られていました。二の丸にあった法音寺など能化衆11ヶ寺、御堂衆9ヶ寺、御堂を管理する霊仙寺の真言宗21ヶ寺が奉仕していました。因みに謙信は深く真言宗に帰依し、伝法灌頂を受けて阿闍梨権大僧都の位階を授かっていました。
城の中心に謙信を祀る御堂があり、それに仕える寺院が城内に21ヶ寺もあったわけです。全国の城の中でも、これほど宗教色の強い城は他にないのではないでしょうか。
上杉謙信公之像。ほかにも上杉鷹山や上杉景勝・直江兼続主従の像などがあります。像はありませんが、「伊達政宗公誕生之地」という標識も建っていました。仙台のイメージが強い伊達政宗ですが、生まれは米沢なんですね。
一の鳥居。奥に木造の二の鳥居が見えます。
上杉謙信公家訓十六ヶ条の碑。
末社・福徳稲荷神社。享保10年(1725)上杉宗憲が城内鎮護として二の丸に勧請したもので、明治9年(1876)上杉鷹山が篤く信仰していた三の丸の稲荷祠を合祀し、上杉神社境内に遷して末社としたそうです。
境内には福徳稲荷のほか、弁天宮と春日神社があります。春日神社は越後・春日山城鎮守の春日神社を勧請したものですが、事前の情報収集不足で見落としていました。無念。
拝殿。大正12年(1923)の再建で、伊東忠太の設計。伊東忠太は米沢の出身だそうです。
本殿。
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