岩手県奥州市水沢区佐倉河宮の内12(Mapion/googlemap)
鎮守府八幡宮(ちんじゅふ はちまんぐう)
正式名称:鎮守府八幡宮
旧称:伊澤八幡宮
御祭神:八幡大神(応神天皇、神功皇后、市杵島姫命)
創建年代:延暦21年(802)
鎮座地:岩手県奥州市水沢区佐倉河宮の内12
社格等:旧県社
http://chinjufu.jp/
【由緒】
社伝によれば、延暦21年(802)坂上田村麻呂が胆沢城を築き、多賀城から鎮守府を遷した際、別当の東北開拓経営の守護神として宇佐八幡より御分霊を勧請したことを創祀とします。
神宮寺は安国寺(現在は廃寺)で、嘉祥3年(850)には別当職に任じられた慈覚大師円仁が金光明最勝王経を講じました。
朝廷や武門の崇敬篤く、弘仁元年(810)嵯峨天皇より御宸筆の八幡宮印を賜りました。また、藤原秀郷、源頼義・義家父子、藤原秀衡などが神宝や神領を寄進したと伝えられます。
文治5年(1189)源頼朝は奥州合戦からの帰途に奉幣し、以後、すべての神事を鎌倉幕府の御願として執行することとしました。これによって武門の崇敬がさらに強くなり、奥州総奉行となった葛西氏やその重臣の柏山氏の外護により社運は隆盛しました。
延元元年(1336)南北朝の兵乱のため、安国寺とともに焼失。承和4年(1348)奥州探題の吉良貞家が胆沢・江刺・和賀・気仙・斯波の5郡の棟別銭をもって再建しました。
天正19年には豊臣秀吉が浅野長政に社殿を造営させ、神領を安堵したと伝えられます。
江戸時代には仙台藩主・伊達氏より深く尊崇され、仙台藩筆頭の八幡宮とされました。藩費による社殿の修復・造営もたびたびで、現在の社殿は文化8年(1811)仙台城以北の奥七郡406ヶ村の総勧化によって造営されたものです。
明治9年(1876)明治天皇は東北御巡幸の砌、岩倉具視・徳大寺実則・木戸孝允らを遣わして御代拝をされています。
大正11年(1922)県社に昇格しました。
鎮守府八幡宮の御朱印
鎮守府八幡宮の御朱印。上は火炎と流れ三つ巴に「鎮守府八幡宮」、火焔太鼓ではないかと思います。その下に日月。
なお、ネットで検索すると、最近は「鎮守府印」と「鎮守府八幡宮の扁額」の御朱印を授与しているようです。
田村麻呂と阿弖流為―古代国家と東北 (歴史文化セレクション)
鎮守府八幡宮の参拝記
鎮守府八幡宮は北上川と胆沢川の合流地点の近く、緑ゆたかな田園地帯に鎮座しています。近くには国指定史跡の胆沢城跡があります。
参拝は平成24年の9月の終わり。周囲の田んぼでは黄金色の稲穂が風に揺れる一番いい季節でした。
境内入口の鳥居。
石碑群。
手水舎。
山神社。
若木社。背後の御神木は樹齢1150年だそうです。
稲荷社。
拝殿。日が傾いていたため、社叢の陰になって見えづらいのが少々残念。
本殿。仙台藩の奥七郡406ヶ村の総勧化(寄進)によって文化8年(1811)に造営されたという重厚な社殿です。
御朱印は、ちょうど宮司さんが出かけられたところということで、後日、郵送していただきました。そう簡単に再訪できるところではないので、非常にありがたいことでした。
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