問い:御府内八十八ヶ所は順番通りに巡拝しなければならないのでしょうか?
答え:その必要はありません。
このお題はいつもお世話になっている浅草・念珠堂の西海店長からいただいたものです。
今年の正月、新年のあいさつを兼ねて念珠堂へ行き、店長と「御朱印のブログを始めました」とか話をしている中で、「御府内八十八ヶ所って、順番通りに回らないといけないのだろうか」という話題になりました。亀戸の某寺院がらみでお客さんからよく質問を受けるのだそうです。
それで、私が「御府内八十八ヶ所は、もともと順番通りに回るようには設定されていないし、江戸時代にも順番通り回っていなかった証拠がある」という話をしたところ、ぜひそれをまとめてもらえないかというリクエストを受けました。
御府内八十八ヶ所は順番通りに回らなければならないのか?
実際に御府内八十八ヶ所を巡拝してみれば、順番通りに回るなどというのが非常に難しいことは誰でもわかることで(不可能ではないが、めちゃくちゃ非効率的)、そのことはもちろん店長も御存じです。
また、御府内76番金剛院のサイトには、八十八ヶ所を回る順番として「1番札所からお参りすることを順打ち、88番からのお参りは逆打ちといい、いずれも順番通りは、結構大変です。アクセスを考えて順不同でもかまいません」と書いてあります。
http://www.kongohin.or.jp/ohenro.html
しかし、たいていの場合は積極的に順不同がよいと考えているわけではなく、本来は順番通りが望ましいが、それは大変なので、やむなく順不同でもいいという消極的な肯定ではないかと思われます。なので、札所寺院の住職から「順番通りに回れ」などと説教されると、それが正しいのではないかと思ってしまったりするのではないでしょうか。
そこで、御府内八十八ヶ所は順番通りに回る必要はないというだけでなく、そもそも開創当初から順番通りに回るようには設定されていない、順不同で回ることを前提とした霊場であるということを主張したいと思うわけです。
そもそも御府内八十八ヶ所は順番通りに回るようには設定されていない
御府内八十八ヶ所は江戸時代の宝暦5年(1755)頃には開創されています。そのため、明治初めの神仏分離や関東大震災・東京大空襲、あるいは東京の都市計画などのために、少なからぬ札所寺院が郊外に移転したり、廃寺になって札所が他寺院に移されたりしています。
移転した札所寺院は6ヶ寺、他寺院に移された札所は25ヶ寺で、実に1/3を超える寺院の所在地が変わっています。中には神奈川県に移転した77番仏乗院のような札所までありますから、開創当初と同じように回ることが大変なことは言うまでもありません。
しかし、御府内八十八ヶ所を順番通りに回るのが大変というのは札所の所在地が変わった現代のみのことではありません。そもそも開創当初から順番通りに回るようには設定されていないのです。
開創当初の1番から10番までの札所寺院と所在地を見てみましょう。
1番 高野寺(現在の高野山東京別院、港区高輪3丁目)
2番 雨宝山 二尊院(抜弁天の旧別当・廃寺、新宿区余丁町)
3番 金剛山 多聞院(新宿駅周辺、世田谷区北烏山に移転)
4番 永峯山 高福院(品川区上大崎二丁目)
5番 金剛山 延命院(港区南麻布三丁目)
6番 五大山 不動院(港区六本木三丁目)
7番 源秀山 室泉寺(渋谷区東三丁目)
8番 盤谷山 光雲寺(廃寺、品川区上大崎二~三丁目あたり)
9番 三光山 浄性院(廃寺、渋谷区神宮前二丁目あたり)
10番 観谷山 聖輪寺(渋谷区千駄ヶ谷一丁目)
これだけ見ても、順番通りに回れるようになどという意図がないことは明白です。だいたい1番が港区高輪の高野山東京別院(当時の高野山学侶方の江戸在番所)で、2番が新宿の抜弁天という時点で、順番通りなどというのはまったく考慮していないとしか言えません。
さらに、江戸時代から順番通りには回るようにはなっていなかったことを証明する資料があります。
文化13年(1816)に49番多宝院が中心となって開版した『御府内八十八ヶ所大意』という、いわば御府内八十八ヶ所のガイドブックがあります。版木が現存しており、台東区の文化財に指定されています。台東区教育委員会から『御府内八十八ヶ所・弘法大師二十一ヶ寺版木』という資料が出版されており、内容を知ることができます。
この『御府内八十八ヶ所大意』を見ると、八十八ヶ所巡拝の功徳や留意点を紹介した後に、「八十八ヶ所みちじゆんどう(「道順同か?」)として、1番から打ち始めて88番で打ち終えるのに最適の巡拝の行程を提示しています。
参考までに、『御府内八十八ヶ所大意』が推奨する参拝コースは以下の通りです。
1-85-81-84-62-43-61-82-32-34-86-71-31-22-58-48-77-65-69-80-27-19-20-67-13-74-68-73-40-46-50-51-45-72-41-60-78-49-53-55-70-63-57-64-42-56-66-59-47-33-35-28-79-87-76-54-52-30-38-15-17-16-14-12-11-3-24-2-36-29-23-37-25-21-18-83-39-26-44-10-9-75-6-5-7-4-8-88
『御府内八十八ヶ所大意』では、各札所の説明については札所番号順になっていますが、別の資料として、慶応元年(1865)に刊行された『御府内八十八ヶ所道しるべ』は札所番号には関係なくエリア別になっています。
つまり、江戸時代の時点において、札所寺院が札所番号とは無関係なコースを推奨しているわけです。さらに所在地の移転した現代において、順番を気にせず、各自の都合に合わせて巡拝することに不都合のあるはずがありません。最初から順番通りに回るようにはなっていないので、順不同で巡拝するのが本来の回り方といってよいでしょう。御府内八十八ヶ所の札所番号は、参拝の順序を示すものではないのです。
では、御府内八十八ヶ所の札所番号は何を意味するもので、どうやって決まったのでしょうか。次回は、その問題を考えてみたいと思います。
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