大阪市浪速区元町二丁目9-19(Mapion/googlemap)
日本一の獅子舞台で知られる難波八阪神社。御朱印拝受は平成18年です。
創建年代等に関しては不詳ですが、古くは牛頭天王社と称し、平安時代の延久年間(1069~73)の頃には難波の産土神として崇敬されていたといいます。
神仏習合の社で、往古は七堂伽藍を備えていたといいます。江戸時代には大門坊深沙寺が奉仕していましたが、明治の神仏分離で廃寺となりました。
初めて難波八阪神社に参拝したのは平成5年のことでした。その時の衝撃は今でもよく覚えています。
初めての大阪出張で、大国町のあたりのビジネスホテルに泊まったのですが、朝、予定の時間まで余裕があったので、周囲を散歩することにして見つけたのが難波八坂神社でした。
境内に入って圧倒されたのは、ずらりと並んだおみくじやお守りや縁起物の自動販売機。境内一杯に、夜店が並ぶような感じで自動販売機がならんでしたのです。もちろん当時も獅子舞台はありましたが、あの自動販売機群の中では風景の一部として違和感なく馴染んでいたのです。さすがは大阪と思いましたよ、本当に。
何枚か写真は撮ったはずなのですが、会社の取材用のカメラだったため、写真もフィルムも会社の引っ越しの際に処分してしまったようで、残念ながら残っていません。
あの光景を写真に収めたいと張り切って、十数年ぶりに難波八阪神社に参拝したのですが…
何か様子が違います。
圧倒的な存在感を放っていた自動販売機の群れがありません。名残のかけらもありません。唯一、あの光景になじんでいた巨大獅子舞台が、今なお場違いな雰囲気でドーンと鎮座ましましているのだけが、当時の記憶が夢や幻ではなかったことを教えてくれます。
拝殿。すっかり普通の神社です。というか、落ち着いた雰囲気のいい神社です。
時の流れに独り取り残されてしまったかのような獅子舞台。
後でネットで調べたところ、宮司さんの交代により神社の運営方針も変わり、自動販売機群も撤去されたとのこと。さすがに獅子舞台は撤去せずに(できずに?)有効活用されているようです。なんでも目がライト、鼻がスピーカーになっているのだとか。侮れません。
神社としては今の在り方のほうが健全でしょうし、地元の氏子さんも安心でしょうし、そんな神社が増殖したら大変なことだし(珍しいからこそ許容範囲だし、面白がることもできるわけです)、そもそもよほど飛び抜けた個性の持ち主じゃないと、ああいう突き抜けた神社のあり方を維持することは不可能だということもわかるのですが…、世の中に一つぐらい、ああいう神社があってもいいのではないかと思うんですよね。一つぐらいなら。
難波八坂神社の御朱印
難波八阪神社の御朱印。中央の朱印は「難波八阪神社」、右上は左三つ巴と木瓜(五瓜唐花)の神紋で、京都の八坂神社と同じです。
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難波八阪神社の概要
難波八阪神社(なんば やさか じんじゃ)
正式名称:難波八阪神社
旧称等:牛頭天王社
御祭神:素盞嗚尊、奇稲田姫命、八柱御子命(天忍穂耳尊、天穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘売命、多岐津比売命、狭依毘売命)
創建年代:不詳、延久年間(1069~73)以前
鎮座地:大阪市浪速区元町2-9-19
社格等:旧郷社
http://nambayasaka.jp/
【由緒】
創建年代は不詳ですが、平安時代の延久年間(1069~73)の頃には難波の産土神として崇敬されていたと伝えられます。古くは牛頭天王社と称し、難波神社(平野明神)を「上の宮」、当社を「下の宮」と称していたといいます。
神仏習合の社で、古くは七堂伽藍を備えていました。江戸時代には大門坊深沙寺が奉仕していましたが、明治の神仏分離で廃寺となりました。明治5年、郷社に列格しています。
昭和49年(1974)現在の社殿が完成。
平成13年、夏祭りの船渡御が230年ぶりに復活しました。また同年、1月に行われる綱引き神事が大阪市の無形民俗文化財に指定されました。
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