高瀧神社(たかたき じんじゃ)
正式名称:高瀧神社
御祭神 玉依姫命/配祀:邇々芸命、別雷命
創建年代:天武天皇元年(672)
例祭:4月中酉日(春季例大祭・花嫁祭)/10月中酉日(秋季例大祭・けんか祭)
社格等:国史現在社、旧県社
【由緒】
『三代実録』に貞観10年(868)従五位下の神階が奉授された記事が記載される国史現在社。古くから安産・子育ての霊験で知られ、「底なし袋」の信仰があります。
社伝によれば、天武天皇元年(672、社頭掲示板では白鳳2年)邇々芸命(ににぎのみこと)を祀って高瀧神と号したとされます。承安年間(1171~75)京都の賀茂社より御分霊を勧請・合祀し(玉依姫命は下鴨神社、別雷命は上賀茂神社の御祭神)、以来、賀茂明神と称するようになりました。
因みに『平成「祭」データ』では玉依姫命を主祭神、邇々芸命と別雷命を配祀としています。
元は養老川の上流、夷隅郡粟又村(現・大多喜町粟又)の高瀧(通称・粟又の滝)の岸に鎮座していましたが、洪水で御神体が流され、現社地に祀られるようになったと伝えられます。
天文3年(1534)久留里城主・里見義尭は市原郡加茂(現・市原市高滝)の地を寄進し、祈願所としました。天正19年(1591)には徳川家康より朱印地10石を賜わっています。
享保7年(1722)社号を賀茂大神宮と改め、同12年(1727)には現在の社殿が再建されました。宝暦7年(1757)には9代将軍・徳川家重が、安永8年(1779)には水戸徳川家が祈願所としています。
明治6年(1873)郷社に列格、同13年(1880)高瀧神社と改称し、県社に昇格しました。
高瀧神社の御朱印
御朱印は社務所にていただきました。
高瀧神社の御朱印。上の印は丸に二葉葵の神紋、下は「高瀧神社」。高瀧神社は京都の賀茂社から御分霊を勧請したという伝承があり、江戸時代まで賀茂明神と称していました。二葉葵の神紋もそれに因むものでしょう。
高瀧神社の参拝記
高瀧神社は養老川をさかのぼった高滝湖の畔、小高い松尾山を背にした緑豊かな境内に鎮座します。
参拝は平成25年8月。真夏の暑い日でしたが、湖面を渡る風と緑の木蔭が心地よい参拝でした。
小湊鐵道の高滝駅から徒歩で10分足らず。途中、本殿脇に出る車用の参道がありますが、せっかくなので高滝湖に面した表参道のほうへ回りました。
一の鳥居。奥に社殿へ向かう石段と二の鳥居が見えます。
子持石。
加茂護国神社。日清・日露戦争から先の大戦に至る氏子地域の戦没者を祀ります。
石段を上ると拝殿が見えてきます。
拝殿内には3基の神輿が安置されていました。
安産祈願の底なし袋。底抜け柄杓とかはよく見かけますが、同じような意味合いでしょう。安産のお守りとして底なし袋を一ついただいて帰り、無事に出産するとお礼に新しい底なし袋を奉納するようです。
境内社。
本殿。
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