折り本式集印帖の登場と昭和のスタンプ蒐集ブームによって、現在使われている意味での「御朱印」が確立しました。大正末から昭和10年頃のことです。
「御朱印」という名称
まず、この時期に「御朱印」が寺社の印を示す名称として登場し、一般的に使われるようになりました。
大正時代に「御朱印」という名称が使われていなかった、あるいは使用例はあっても一般化していなかったということは、大正13年(1924)に朝日新聞社から出版された『神社山陵参拝記』で確認することができます。
『神社山陵参拝記』は、朝日新聞社が皇太子殿下(昭和天皇)の御成婚を記念して企画した全国の神社と御陵の参拝の記録で、各神社と御陵で参拝帳に印をいただいています。その印を示す言葉として「印顆」「社印」「御印」「御判」等を使っていますが、「御朱印」という言葉は使われていません。
つまり、大正時代には「御朱印」という名称は使われておらず、また寺社の印を指す統一的な呼び方もなかったことがわかります。
それに対して、昭和10年(1935)11月に野ばら社から昭和11年版児童年鑑・学友年鑑・昭和年鑑の共通別冊として発行された『集印帖』には「著名社寺御朱印集」があります。
このことから、「御朱印」という名称が大正末から昭和10年頃までに登場し、一般的に使われるようになったことがわかります。
朱印(宝印)が中心になる
現在、一般的な御朱印は朱印と寺社名、本尊・祭神名、「奉拝」等の墨書から構成されていますが、「御朱印」という呼称の通り、中心に押す朱印(宝印)が中核的な構成要素だと考えられています。そのため、神社を中心に墨書は日付や「奉拝」のみ、あるいは朱印のみというところもあります。
しかし、江戸時代の納経帳においては必ずしも中央に朱印(宝印)は押されておらず、しかも時代が古くなるほど押されている割合が少なくなります。幕末にかけて朱印を押す寺社がほぼ主流となり、朱印(宝印)重視になっていったと考えられますが、明治時代にはまだ押印しない伝統を堅持する寺社もありました。
ところが折り本式の集印帖が登場し、押印のみ墨書なしが主流になると、完全に朱印(宝印)が中心となりました。「御朱印」という名称も朱印(宝印)が中心になったことを反映しています。
宗教的・信仰的価値の強調
もともと納経帳・順拝帳は納経あるいは参拝の証しであり、記帳押印していただくことによって納経と同等の功徳があるとされていたと思われますから、宗教的・信仰的な意味を持っていたのは当然のことです。しかし、それ自体に御札(神仏のみ霊が込められている等)のような意義が与えられていたかというと疑問があります。
特にはがき・絵はがきに押印している例を考えると、正式な記帳押印には宗教的価値があっても、押印のみの場合は単なる参拝記念という位置づけだったのではないかと思われます。
特に大正から昭和初めの神社においては「参拝」「参拝記念」という文字の入った朱印を用いている例が見られ、納経の伝統を意識した寺院よりも参拝記念と考える傾向が強かったようです。
その傾向を一変させたのが昭和のスタンプ蒐集ブームです。
スタンプ蒐集ブームが起こると、多数のスタンプ蒐集家や一般の旅行者が集印帳を持って旅先でスタンプを集めるようになりました。これらの人たちは、従来から寺社を巡って人たちと違い、寺社の朱印(宝印)も一般のスタンプと同列に扱っていました。そのため、この時期の集印帖には一般のスタンプと寺社の朱印の混在しているものが多数あります。
これに対して神社や寺院が危機感を持ったようで、寺社の印の宗教的・信仰的価値を重視するようになりました。
わかりやすい部分では、昭和になって、特に神社の御朱印から「参拝記念」「参拝」等の文字がなくなります。代表的な例では熱田神宮、橿原神宮、石清水八幡宮その他があり、昭和10年代の初めには伊勢神宮も「内宮参拝」「外宮参拝」の丸印から、現在と同じ「内宮之印」「外宮之印」の角印に替わります。
一般のスタンプと同じ帳面に押すべきではないと強調するようになったのもスタンプ蒐集ブーム当時の状況が背景にあると思われます。この時期に「御朱印」という名称が使われるようになったのも、記念スタンプ類とは違うことを明確に示すためでしょう。
こうして、単なる参拝記念のスタンプではなく、神仏の御心が込められた授与品としての御朱印が確立されるわけです。
戦後の変化
寺院においては、戦前の押印のみが主流になった時代でも墨書押印という形式もかなり残っており、戦後はかなり早い時期から墨書を入れるのが主流になったようです。
寺院の御朱印は「奉納経」が「奉拝」に替わったぐらいで、江戸時代の納経からあまり変化していません。中には善光寺のように200年以上ほとんど変わっていないところもあるほどです。また、四国八十八ヶ所の納経は現在も「奉納(奉納経)」の略で統一されています。
つまり、寺院の御朱印は江戸時代にほぼ現在の形が出来上がり、大正から昭和初期に「奉拝」と書くのが定着して完成。同時期に押印のみで墨書なしというスタイルが増加したものの、戦後比較的早い時期に元に戻り、現在に至るわけです。
神社の御朱印は、戦後しばらくは押印のみで墨書がない戦前のスタイルが主流でしたが、昭和50年前後から寺院の影響を受けて墨書を入れるところが増えていったようです。
寺院の影響であることがよくわかるのは、「奉拝」を入れるようになったことです。「奉拝」は「奉納経」の代わりに使うようになったもので、本来、神社の御朱印には使われていませんでした。戦前の集印帖でも「奉拝」と入っている例がありますが(上の昭和14年伊勢神宮の御朱印など)、いずれも集印帖の所有者が書いたもので、神職が書いた例はありません。
こうして現在の御朱印のスタイルが確立したわけですが、伊勢神宮をはじめ、現在でも「奉拝」の文字を入れずに神社の御朱印の伝統を保っているところもあります。
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