大正時代の半ば、折り本式の集印帳が登場し、急速に普及します。さらに昭和になって空前のスタンプブームが起こりました。これが御朱印の歴史の大きな画期となります。
折り本式集印帖の登場
私が見た範囲で一番古い折り本式の集印帳は大正8年(1919)のものです。初めて登場するのはもう少し古いかもしれませんが、大正時代の半ばであることは間違いないでしょう。
最初期の集印帳は紙が薄く、一重でした。ところが大正10年頃になると、厚い紙を二重にして裏表を使うことができる形式のものが登場し、一重のものは姿を消していきます。
折り本式の集印帳が普及した最大の理由は、従来の納経帳に比べてサイズが小さいことでしょう。
前回も触れたように、明治以降、巡礼ではない観光旅行が登場します。しかし、今も昔も神社仏閣は主要な観光地ですし、寺社に行けば御判をいただきたいという需要も根強く残っていたと思われます。明治から大正にかけて見られたはがき・絵はがきへの押印がそれを示しています。
そういう旅行者にとって、かさばる従来の納経帳違い、手頃なサイズの折り本式の集印帳は非常に好都合だったでしょう。
折り本式集印帖の前段階としてのはがき・絵はがきへの押印との関係は、折り本式集印帖が朱印(宝印)の押印のみで墨書がなくなったことにも現れていると考えられます。
折り本式の集印帖が登場した大正8年頃は、従来の納経帳・順拝帳と同じく墨書押印が揃っていました。しかし、大正9年から10年頃には神社を中心に押印のみというところが増え、大正末にはほぼ主流になります。さらに昭和になると、寺院でも押印のみというところが多くなりました。
急速に墨書がなくなった理由として考えられるのが、折り本式の集印帖は従来の納経帳・順拝帳よりもサイズが小さいということに加え、略式の参拝記念という位置づけにされたからではないかと考えられます。実際、大判の納経帳は墨書押印というスタイルを堅持したまま現在に至っています。
四国・西国その他の霊場巡拝以外では、大判の納経帳・順拝帳はほぼ用いられなくなり、もっぱら折り本式の集印帖が使われるようになりますので、明確な位置づけや使い分けがあったとは言えませんが、少なくとも四国・西国などの例から考えて、折り本式の集印帖は略式の参拝記念と考えられていたとして間違いないと思います。
戦前のスタンプ蒐集ブーム
さらに大正末から昭和初めに旅行ブームが起こりました。これが集印帖の普及を後押ししたと思われます。一般人がカメラを持つことなどなかった時代、集印帳に寺社の御朱印や観光地のスタンプを押すのは手頃な旅行の記念だったはずです。
そして昭和6年(1931)に郵便局の風景印と鉄道の駅スタンプが登場すると、それに刺激されて観光地や旅館・ホテル、船その他、さまざまなスタンプが作成され、昭和9年から10年頃に空前のスタンプ蒐集ブームとなりました。
熱心なスタンプ蒐集家ばかりでなく、一般の旅行者や修学旅行の学生なども折り本式の集印帖を携帯し、行く先々でスタンプを集めていたようです。当然、寺社の印も収集の対象になりました。
これらのスタンプ蒐集を目的とする人たちは寺社の印を単なるスタンプの一種として扱ったようで、当時の集印帖には一般のスタンプに寺社の印が混在している例が少なからずあります。当時の実態はよくわかりませんが、きちんと参拝せずに印のみ押してもらうという人もいたのではないかと想像できます。このような風潮が寺社に危機感を抱かせ、宗教的・信仰的な意義を持った授与品としての御朱印の確立を促すことになります。
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