鶴谷八幡宮

千葉県館山市八幡68(Mapion/googlemap

鶴谷八幡宮

鶴谷八幡宮(つるがや はちまんぐう)
正式名称:鶴谷八幡宮
旧称:鶴谷八幡神社、安西八幡宮、那古八幡社
御祭神:誉田別命、帯中比古命、息長帯比賣命
創建年代:平安時代
鎮座地:千葉県館山市八幡68
社格等:安房国総社、旧県社

【御由緒】
平安時代、安房国の総社として国府の近くに創建されました。元の鎮座地は南房総市府中の元八幡神社とされます。また、養老2年(718)安房国が建置されたとき、国府の守護として祀られたという所伝もあります。

その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、国司の権威が衰えていったことに伴い、総社への崇敬が衰微しました。その一方で、祭神の中でも源氏の氏神である八幡神が特に崇敬されるようになり、府中八幡と称されるようになりました。現在の社地に遷座したのも鎌倉時代のことと考えられており、社記には建保元年(1213)源実朝が社殿を造営したとの記述があります。

なお、源頼朝が安房に逃れて再起を図った際、当社に参拝して武運長久を祈願したとも伝えられます。

室町時代の文献には「安西八幡宮」と記されています(当時、安房郡は安東郡と安西郡に分割されていた)。また、別当である坂東33番那古寺に因み、「那古八幡」とも称されていました。

古河公方や里見氏の崇敬を受け、永正5年(1508)里見義通が社殿を再建したのをはじめ、里見氏歴代当主が社殿の修営を行いました。徳川幕府も寛永13年(1636)に朱印地171石を寄進しています。

明治6年(1873)郷社に列格、昭和15年(1940)県社に昇格。昭和51年(1976)御鎮座一千年式年大祭を機に鶴谷八幡宮と改称しました。

鶴谷八幡宮の御朱印

御朱印は社務所にていただきました。

鶴谷八幡宮の御朱印

鶴谷八幡宮の御朱印。中央の朱印は「鶴谷八幡宮印」、右上に「安房国総社」。

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鶴谷八幡宮の参拝記

館山市八幡に鎮座する鶴谷八幡宮。安房国の総社で、国府八幡宮(一国一社八幡宮)でもあります。旧別当は板東33番の那古寺でした。

9月の例大祭・安房国司祭(通称・やわたんまち)は往古の国府祭の伝統を引き継ぎ、安房神社をはじめとする10社の神輿と5基の山車が集まる南房総最大の祭りとして知られています。

初めて参拝したのは平成17年3月。宮司さんがいらっしゃらないようだったので、御朱印は断念しました。御朱印拝受は2度目の参拝で平成24年3月。確実を期すために事前に連絡し、時間を決めたうえで伺いました。

館山駅を出て、北に1kmほど進むと鶴谷八幡宮の大鳥居があります。海岸から内陸に向かって進む参道は、鎌倉の鶴岡八幡宮を模したものともいわれます。

二の鳥居までの参道周辺は広場のようになっていて、忠霊塔や記念碑が建っています。とても開放的で明るい雰囲気です。

鶴谷八幡宮二の鳥居

二の鳥居。

鶴谷八幡宮御神木

御神木のイヌマキ。樹齢300年以上とのこと。

鶴谷八幡宮摂社・若宮八幡神社

摂社・若宮八幡神社。御祭神は大雀命。

鶴谷八幡宮仮宮

仮宮。9月の例大祭・安房国司祭(やわたんまち)の際、各神社から渡御してきた神輿がここで一夜を過ごします。

鶴谷八幡宮、安房神社遥拝殿

安房神社遥拝殿。遥拝所とは思えない立派な構えです。安房国司祭において、安房神社の神輿はここに安置されるそうです。

鶴谷八幡宮拝殿

拝殿。関東大震災で旧拝殿が倒壊したため、昭和7年(1932)に再建されました。彫刻は旧拝殿のものを使っているとのことで、非常に見事です。

鶴谷八幡宮、百態の龍

特に見ごたえがあるのが向拝天井の「百態の龍」。中央鏡天井の龍を中心に、全部で55体の龍の浮き彫りが格天井にはめ込まれています。幕末から明治にかけて活躍した安房を代表する彫工・後藤義光の作品だそうです。館山市の有形文化財。

鶴谷八幡宮本殿

本殿。江戸時代中期の建築で、館山市の有形文化財。

ところで、鶴谷八幡宮の御由緒では、安房国の総社として創建され、鎌倉時代になって国司による総社への崇敬が衰退し、源氏の氏神である八幡神を祀る府中八幡になったとされますが、ちょっと納得しがたいところです。

鶴谷八幡宮の旧鎮座地といわれる南房総市府中の元八幡神社の北西500mほど、館山市亀ヶ原にも安房国総社とされる六所神社があることに注目。

国府に関わる神社として、総社のほかに国府八幡宮(国分八幡宮、一国一社八幡宮とも)があります。国衙(国庁などの役所)の鎮守もしくは国分寺の鎮守として祀られた八幡宮で、千葉県でいえば、下総の葛飾八幡宮や上総の飯香岡八幡宮がそれに当たります。

考えるに、府中の元八幡神社にあったという鶴谷八幡宮の前身は、総社ではなく国府八幡宮(府中八幡)だったのではないでしょうか。国衙の衰退に伴い、府中八幡が総社(亀ヶ原の六所神社)の祭祀を継承したと考えるのが妥当なように思います。

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