古今御朱印覚え書

御朱印に関する考察、寺社参拝、拝受した御朱印、昔の御朱印・納経帳などについてのメモ

御朱印の起源

      2016/03/02

御朱印の起源は江戸時代の納経帳にありますが、さらに遡ると六十六部廻国聖の「納経請取状(のうきょううけとりじょう)」にたどりつきます。これは、歴史的な経過や変遷が資料として残っていることから明らかです。

六十六部

六十六部
『日本風俗図絵 第七輯』国立国会図書館蔵

六十六部廻国聖とは、詳しくは日本回国大乗妙典六十六部経聖といい、略して六十六部あるいは六部ともいいます。定められた作法で書写した法華経(如法経)66部をもって日本全国66ヶ国を巡り、一ノ宮や国分寺など各国を代表する神社仏閣に納めていく廻国の修行者です。

奉納する写経は法華経ですが、その一部(とくに普門品=観音経)だったり、浄土三部経(浄土宗などの寺院の場合)だったりすることもあったようです(ただし、実際に写経を奉納していたとは限らないようです)。

天保14年増上寺の納経印

天保14年(1843) 増上寺
三部妙典は浄土三部経のこと

写経は青銅の経筒に入れて納経、あるいは埋経(経塚などに埋めること)したのですが、写経ではなく青銅の納め札(納経札)のみを納めることもありました。江戸時代には版経(木版などで印刷した経典)や納経札を納めることが多かったようです。

天文7年六十六部納経札

天文7年(1538)六十六部の納経札
青梅市・野上春日神社

六十六部廻国巡礼は、13世紀前半には行われていたようですが、盛んになるのは室町時代からです。この頃から、納経した(納経札を含む)神社仏閣で「納経請取状」を発給してもらうようになるのですが、江戸時代になると、次第に納経帳に記帳押印してもらうという形式になっていきます。

また、江戸時代になると1ヶ国1社寺に限らず多数の神社仏閣を巡拝するようになり、中には1ヶ国66ヶ所を66ヶ国巡拝するという例まであるようです。その巡礼の道中に四国八十八ヶ所や西国三十三所を組み込むのは自然の流れであり、そこから四国遍路や西国巡礼の間にも納経帳が広がっていったようです。

さて、「納経」という言葉自体は経典を寺社に奉納することを意味します。有名な厳島神社の『平家納経』のような贅を尽くしたものもあれば、大般若転読に用いる大般若経600巻の施入とか、現代でも行われているような供養や祈願のために般若心経や観音経などを写経して納めるということもあります。

しかし、御朱印の起源となる納経帳については、六十六部廻国聖に由来することは、のこされた納経帳などの資料から明らかです。それは必ずしも写経の奉納が必須というわけではなく、納め札(納経札)を納めるケースが多かったと思われます。

つまり、いわゆる『納経帳』は、本来的な意味での納経、つまり経典を書写して寺社に奉納するという行為より、巡礼・巡拝という行為と深く関わっています。言い換えれば、「納経」とはいっても、必ずしも写経は必要ない、むしろ写経の奉納を伴わないのが一般的だったと考えられるわけです。だからこそ、もともと納経を伴わない四国八十八ヶ所などにも広がったのでしょう。

ところが、ネットや御朱印に関する書籍の御朱印の歴史に関する説明を見ると、納経帳に起源を求めるのはよいとしても、その納経が現代的な感覚での納経、すなわち供養や祈願のために般若心経や観音経などを書写し(明確に般若心経や観音経を挙げていなくても、それを念頭に置いているのだろうと思われる表現が多いようです)、神社仏閣に奉納して(たまに寺院に奉納していて、それが神社にも広がったと書いている例も見かけましたが、まさに現代的な感覚です)、その証しとして納経帳に御判(納経印・御朱印)をいただいた……というようなことを書いている例が少なからずあります。

御朱印の起源に関する典型的な誤解の一つといえるでしょう。

六十六部廻国聖も本来は写経を納めていたわけですから、写経を納めた証しとしてというのは間違いとは言えません。しかし、奉納する経典は法華経であって、般若心経や観音経のようなごく短い経典ではない、そう気軽に書写できるようなものではないわけです。法華経は「六万九千三八四(ろくまんくせんさんぱっし)」といわれるように1部8巻28品69,384文字から成り、260余文字といわれる般若心経を書写するのとはわけがちがいます。因みに観音経は法華経28品のうちの第25品「観世音菩薩普門品」の偈文と呼ばれる最後の部分、つまり法華経のほんの一部です。

それはともかく、御朱印の起源が納経帳にあるとはいっても、そういった一部の御朱印関連のサイトや書籍の説明でイメージされているものとずいぶん違うことは間違いありません。

それを示す資料があります。「(たぶん、自ら)書写した般若心経」と納経料の受領証、遠江国(静岡県)秋葉寺のものです。年代はわかりませんが、江戸時代のものです(秋葉寺は明治の初めに一度廃寺になっています)。

秋葉寺納経料の受領証

「書写心経千巻」「箱入」「奉納料 金百疋」とあります。般若心経の写経1,000巻(箱入りで)と奉納料銭100疋(1疋=10文なので100疋=1,000文=1貫文)を奉納したようです。担当者は「役寮」となっています。

次に、弘化4年(1847)の納経帳にあった秋葉寺の納経。

秋葉寺の納経印(弘化4年)

左下の「遠秋」(遠江国の秋葉山もしくは秋葉寺の意でしょう)の黒印が共通する以外、形式も内容もまったく違います。担当者は「知事」。因みに「大乗妙典」は法華経のことです。

秋葉寺、御初尾の受領証

こちらは年代不明ですが同じ秋葉寺、神前の供物として奉納したらしい「御初尾(鮎)」の受領証です。担当者は「役寮」。般若心経の写経の受領証が、納経帳ではなく御初尾の受領証と同種であることは明らかです。

つまり、「供養や祈願のために、自ら書写した般若心経などの写経を奉納」した場合、他の一般的な供物と同種の受領証が出されたのであって、納経帳に御判をいただくというわけではないということです。

御朱印の起源について「供養や祈願のために般若心経などを書写・奉納して、その証しとして納経帳に御判をいただいた」というような説明は、現代的な「納経」のイメージに基づく誤解といえるでしょう。

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Comment

  1. 遠藤則男 より:

    ぶしつけにコメントを差し上げる無礼をどうかお許しください。
    御朱印に関する図書の刊行に関わっております。
    御朱印の起源について調べていたところインターネット上で、
    「古今御朱印覚え書」を存じ上げました。

    貴重な古い御朱印を掲載しながら、
    六十六部廻国聖の「納経請取状(のうきょううけとりじょう)」に
    御朱印の起源があると説かれる論考に、引きつけられた次第でございます。

    つきましては、御朱印の起源に関する貴殿の論考を
    起源の一説として紹介させていただきたいと考えております。
    いかがでしょうか。

    • kokonkomainu より:

      遠藤様

      コメントありがとうございました。

      趣旨については了解しましたので、詳細はメールでやりしていただければと思います。

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