國津比古命神社

愛媛県松山市八反地甲107(Mapion/googlemap

国津比古命神社

国津比古命神社(くにつひこのみこと じんじゃ)
正式名称:国津比古命神社
旧称:頭日八幡宮
御祭神:天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊/配祀:宇麻志麻治命、物部阿佐利命、誉田別尊
創建年代:応神天皇の御代
鎮座地:愛媛県松山市八反地甲107
社格等:式内社、旧県社

【御由緒】
風早地方(旧北条市)の総鎮守で、櫛玉比売命神社と合わせて風早宮大氏神と総称します。

社伝によれば、古くは風早の国魂を祀っていたとされます。

応神天皇の御代、物部阿佐利(もののべのあさり)が風早の国造に定められました。阿佐利は元から祀られていた風早の国魂を崇敬するとともに、物部の祖神である天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひのみこと)とその子・宇麻志麻治命(うましまじのみこと)を合わせ祀り、櫛玉饒速日命神社と称するようになりました。

この時、櫛玉饒速日尊の妃神をお祀りしたのが櫛玉比売命神社です。

その後、物部阿佐利を合祀し、元の社名である国津比古命神社に戻りました。

嘉祥4年(851)正六位上を奉授されました。延喜の制では櫛玉比売命神社とともに小社に列しています。

その後、誉田別尊(応神天皇)を合祀し、頭日八幡宮(かぐひ はちまんぐう)と称するようになりましたが、享保年間(1716~36)元の社号に復しました。

物部氏・風早氏・河野氏など歴代領主の尊崇を受け、寛保元年(1741)には松山藩主・松平定喬が毎年代官に参拝させることを定めました。

明治4年(1871)郷社に列格、同29年(1896)県社に昇格。

国津比古命・櫛玉比売命両社を中心とする風早地方の秋祭りは、多数の「だんじり」が半鐘を打ち鳴らしながら練り歩くことから「風早の火事まつり」として知られます。宮入りの際には、神輿が壊れて中から御神体が現れるまで石段から落とす「みこし落し」が行われ、日本三大荒神輿の一つとして有名です。

国津比古命神社の御朱印

国津比古命神社と櫛玉比売命神社はどちらも本務社で、それぞれ宮司さんがいらっしゃるのですが、御朱印は両社とも櫛玉比売命神社の宮司さんのお宅でいただけます。

櫛玉比売命神社の御朱印

平成21年にいただいた御朱印。両社の印が押されています。

国津比古命神社の御朱印

平成26年にいただいた御朱印。中央の朱印は「式内 名神 国津比古命神社之御璽」、平成21年にいただいたものと同じです。

二ギハヤヒ---『先代旧事本紀』から探る物部氏の祖神二ギハヤヒ—『先代旧事本紀』から探る物部氏の祖神

国津比古命神社の参拝記

平成26年8月、松山市八反地の国津比古命神社と高田の櫛玉比売神社に2度目の参拝をしました。住所は違いますが、実際は同じ境内にあります。

実は平成21年にも参拝し、御朱印をいただいていたのですが、両社の御朱印を同じページにいただいていたため、別々に分けていただきたいと思い、再度の参拝となりました。

両社は風早地方(旧北条市)の総鎮守で、合わせて風早宮大氏神とも呼ぶそうです。国津比古命神社は古代の風早国造であった物部氏の祖神、櫛玉比売命神社はその妃神を祀っています。いわば物部氏のご先祖一家を祀るわけですが、古事記・日本書紀ではなく先代旧事本紀に基づいているようです。

両社の秋の例大祭「風早の火事(ひのこと)まつり」の宮入りには、神輿が壊れて御神体が出てくるまで石段から投げ落とすという「みこし落し」が行われます。

JR伊予北条駅のすぐ北の通りが参道で、神社までは東にまっすぐ約2km。西に進むと北条港、その先の海上には鹿島があります。

国津比古命神社一の鳥居

一の鳥居。松山市立正岡小学校のそばにあります。正面に境内入口の二の鳥居が見えます。

国津比古命神社二の鳥居

二の鳥居。延宝9年(1681)建立。笠木が湾曲した独特の形状をしていますが、元は額束があったそうなので明神鳥居に分類されるのだろうと思います。笠木と島木が一つの石からできていて継ぎがないのだそうです。その奥にみこし落しが行われる石段があります。

石段を上ると、左(北)に国津比古神社、右(南)に櫛玉比売命神社が鎮座しています。

国津比古命神社八脚門

国津比古神社の八脚門。慶安2年(1649)、一説では慶長10年(1605)に松山市の阿沼美神社で建立されたものを、元禄年間(1688~1704)当社に移築したそうです。愛媛県指定有形文化財。

国津比古命神社石額

二の鳥居に掲げられていた石額。延宝9年(1681)。

国津比古命神社神楽殿

神楽殿。

国津比古命神社金刀比羅神社

金刀比羅神社と真名井。

国津比古命神社拝殿

拝殿。

国津比古命神社

本殿。

続いて櫛玉比売命神社を参拝します。

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コメント

  1. […] そのため、為起は味酒神社の神職になると、阿沼美神社に関わる遺物を旧庚申社地に埋め、神鏡は南江戸村の山崎八幡(現・朝日八幡神社)に、狛犬は小栗村の正八幡(現・雄郡神社)に、楼門は改造して八反地村の頭日八幡(現・国津比古命神社)に与えたという(鵜久森熊太郎『阿沼美神社考証』)。 […]

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