官舎神社

三重県伊勢市小俣町本町 [Mapion|googlemap]

官舎神社

官舎神社(かんしゃじんじゃ)
正式名称:官舎神社
通称:離宮さん 旅の宮
御祭神:建御雷之男神 経津主神 天児屋根命 /配祀:姫神 /合祀:多紀理毘賣命 市木嶋比賣命 多岐都比賣命 猿田毘古大神 建速須佐之男 天忍穂耳命 天之菩卑能命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命 倉稲魂命 大己貴神 大田命 大宮女神 保食神 金刀比羅神 不詳一座
創建年代:不詳
例祭:9月15日
社格等:式内社 旧県社

【御由緒】
創建年代は不詳だが、中臣氏の祖神を奈良の春日大社より現社地の北・津島崎の地(大仏山東麓)に勧請し、中臣社または春日社として祀ったことに始まるとされる。『神宮雑例集』には天平勝宝8年(756)大宮司・津島朝臣子松による勧請とあります。

延暦16年(797)離宮院(伊勢神宮斎宮の離宮で、斎王が伊勢神宮の三時祭のために参宮する際に宿泊した)が山田原から当地に移転した際、当社も神宮祭主・大中臣朝臣諸魚らによってその敷地内に遷されました。離宮院の官舎の傍にあり、官舎から管理したことにより、官舎神社と称するようになったといいます。

天長元年(824)離宮院が斎宮とされましたが、承和6年(839)の大火で離宮院が全焼。官舎神社は焼失を免れましたが、斎宮は多気(多気郡明和町)に移されました。同8年(841)離宮院は再建されましたが、斎宮は多気に置かれたままでした。

その後も官舎神社においては中臣氏の氏神祭が継続されましたが、南北朝時代に離宮院が衰微すると、当社も断絶してしまいました。

寛文3年(1663)大宮司・大中臣精長が当社の石積みを見つけ、小祠を再興しました。一時は禰宜10人が奉仕するほどであったといいます。しかし、明治になると伊勢に移住し、再び衰微してしまいました。それを当地の神職・吉村氏が憂い、神社の維持に努めました。

明治12年(1879)村社に列格。同43年(1910)村内の各字に祀られていた神々を合祀した小俣神社を合祀。さらに昭和19年(1944)村社から県社へと昇格しました。

なお、境内は離宮院跡として大正13年(1924)国の史蹟に指定されています。

官舎神社の御朱印

御朱印は社務所にて。ちょうど宮司さんが境内の清掃をされていたので、声をかけてお願いしました。

官舎神社の御朱印

中央の朱印は「官舎神社之印」。

神に仕える皇女たち―斎王への誘い― (新典社選書 75)神に仕える皇女たち―斎王への誘い― (新典社選書 75)

官舎神社の参拝記

JR参宮線宮川駅の南側に社叢が広がっています。駅から徒歩すぐではあるのですが、宮川駅に停車する列車が少ないため、公共交通機関を使っての参拝が意外に不便な神社です。

官舎神社の境内は東西に長く、両側から参道が続いていますが、社殿が西の端にあるため、参拝には西側参道を使うのが便利です。

西参道一の鳥居

宮川駅から徒歩5分足らず、西参道の一の鳥居。白い鳥居が当社の特徴です。

西参道二の鳥居

二の鳥居。

手水舎

手水舎。

拝殿

三の鳥居を抜けると広場になっており、官舎神社の社殿が南向きに建っています。

本殿

官舎神社の本殿。伊勢周辺の神社によく見られる神明造りの社殿です。

神宝殿

神宝殿。

離宮院公園

東参道。境内の東側の多くは離宮院公園として整備されています。梅林園や芝生広場、ちびっこ広場のほか、皇居や伊勢神宮の遙拝所などがあります。

東参道一の鳥居

離宮院公園側、東参道の鳥居。ここから社殿までは約300mもあります。

社号標

鳥居の傍に官舎神社の別名、離宮山大漁宮の名が刻まれた社号標がありました。

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